
プロフィール
誕生日:1961年5月13日
出身国:アメリカ
出身地:ニュージャージー州トレントン
ポジション:スモールフォワード/パワーフォワード
ドラフト順位:1986年2順目27位
ドラフトチーム:デトロイト・ピストンズ
出身校:オクラホマ州立大学
身長:203cm 体重:105kg
目次
- 1 デニス・ロッドマンはNBA史上最高のリバウンド王
- 2 1986年NBAドラフト
- 3 デトロイト・ピストンズ時代
- 4 バッドボーイズで2連覇
- 5 ディフェンシブプレーヤーオブザイヤー
- 6 ピッペンとは犬猿の仲だった
- 7 サンアントニオ・スパーズ時代
- 8 シカゴブルズへトレード
- 9 7年連続リバウンド王
- 10 シカゴ・ブルズに加入
- 11 ロッドマンはディフェンス力が凄すぎ
- 12 ブルズ時代以降
- 13 ロッドマンの好きな音楽
- 14 カール・マローンとプロレスで対戦
- 15 ロッドマンの名言
- 16 金正恩総書記と親密
- 17 ウェディングドレスを着て登場
- 18 日本でもCMに出てた
- 19 ロッドマンの経歴
- 20 2011年、殿堂入りでのスピーチ
デニス・ロッドマンはNBA史上最高のリバウンド王
ロッドマンはNBA史上最高のリバウンド王です。
ロッドマンはそれまで地味だったリバウンドをかっこいいものに変えました。
「リバウンドを制するものはゲームを制す」という言葉がありますが、彼はまさにそれを地で行っているプレーヤーでしたね。
試合中にシュートを打つ事はあまりしませんでしたけど、ロッドマンはリバウンドとディフェンスで観客を魅了しました。

今日はそんなロッドマンを紹介していきます。
1986年NBAドラフト
ロッドマンは1986年のNBAドラフト(2順目27位)でデトロイト・ピストンズに指名されました。
※ロッドマンは2順目指名ながらその後NBAのスーパースターにのし上がります。
ちなみにこの年のドラフトでは後にシカゴ・ブルズでチームメイトとなるロン・ハーパーも1順目8位でキャバリアーズに指名されました。
まさかこの時は将来一緒のチームになって3連覇を達成するとは思いもしなかったでしょう。
デトロイト・ピストンズ時代
ロッドマンは1986年から1993年までデトロイトピストンズに所属。
最初のころはビニー・ジョンソンやジョン・サリー、リック・マホーンの控えを勤めていました。
しかしマホーン移籍後は出場時間を延ばし、得意のディフェンスやリバウンドで大活躍します。
下はロッドマンのピストンズ時代のスタッツ

年 | 出場試合数 | 平均出場時間 | 得点 | リバウンド |
1986-87 | 77 | 15.0 | 6.5 | 4.3 |
1987-88 | 82 | 26.2 | 11.6 | 8.7 |
1988-89 | 82 | 26.9 | 9.0 | 9.4 |
1989-90 | 82 | 29.0 | 8.8 | 9.7 |
1990-91 | 82 | 33.5 | 8.2 | 12.5 |
1991-92 | 82 | 40.3 | 9.8 | 18.7 |
1992-93 | 62 | 38.9 | 7.5 | 18.3 |
バッドボーイズで2連覇
ロッドマンはチャック・デイリー率いるバッドボーイズの一員として大活躍します。1989年と1990年にはピストンズのバックトゥバック(2連覇)に貢献しました。
当時のバッドボーイズのメンバーにはアイザイア・トーマス、ビル・レインビア、ジョー・デュマースなどがいました。ピストンズはディフェンスがよくて本当にいいチームでした。
特にロッドマンのディフェンスはバッドボーイズで1番といっていいほど素晴らしかったです。
ちなみに、ロッドマンはチャック・デイリーの事をかなり尊敬していて、チャック・デイリーの自宅の電話番号をタトゥーに入れています。
※ピストンズの2連覇に貢献したロッドマンの背番号10番は永久欠番になりました。
ディフェンシブプレーヤーオブザイヤー
ロッドマンは、1990年と1991年にディフェンシブプレーヤーオブザイヤー(最優秀守備選手)に2年連続で輝きます。
賞を受賞した直後のインタビューでは人目をはばからず涙を流すシーンが印象的でした。
ピッペンとは犬猿の仲だった
ロッドマンとスコッティ・ピッペンは犬猿の仲でした。
1番有名なのはロッドマンがピッペンを突き飛ばしたシーンです。
1991年のイースタンカンファレンスファイナルでの出来事でした。ピッペンはこの時カメラにぶつかりあごに傷が出来ました。
この時のピストンズとブルズのライバル関係は本当に凄かった。なのでロッドマンとブルズの選手達とのぶつかり合いは本当に見ごたえ十分です。
この時はブルズでピッペンとチームメイトになるなんてこれっぽっちも思ってなかったでしょう。
※後にロッドマンはピストンズ時代の行為をピッペンに謝罪しています。
サンアントニオ・スパーズ時代
ロッドマンは1993年にサンアントニオ・スパーズに移籍します。
スパーズに移籍してからのロッドマンは相変わらずリバウンドでNBAを席巻します。
身長は203cmとNBAの中では普通ですが、スピードと瞬発力は他のインサイドの選手よりも優れていました。
また、この時から髪を染めたりタトゥーをいっぱい入れたり、ピアスを全身にあけまくったりとプレー以外でも話題になります。
髪の色は金や緑、紫などが印象的でした。
シカゴブルズへトレード
スパーズ時代はバスケでは大活躍していたんですが、周りのチームメイトに馴染めませんでした(ただし、ジャック・ヘイリーとはかなり仲がよかった)
また、ロッドマンは当時スパーズのエースだったデビッド・ロビンソンの事をこき下ろしたりしていました。
スパーズから問題児扱いされていたロッドマンは、1995年にウィル・パデューとのトレードでシカゴ・ブルズへ移籍させられます。
このトレードを画策したのはグレッグポポビッチ。なのでロッドマンはポポビッチが大嫌いです。
ロッドマンとパデューの交換なんてどう考えても実力が釣り合っていません。それだけスパーズは問題児のロッドマンを放出したかったんです。
※ロッドマンと仲がよかったジャック・ヘイリーも1995年にブルズと契約しています。
7年連続リバウンド王
ロッドマンは1991-1992年シーズンから7年連続でリバウンド王に輝きました。これは、今現在もNBA記録です。
凄いのは違う3チームで7年連続リバウンド王に輝いている事ですね。
7年間の平均リバウンド数は16.7本です。

ロッドマンはリバウンドは掴むものではなく、触るものと言っていました。
確かに、ロッドマンは一回で取らずに何度も何度もボールを弾いて、自分の取りやすいところでリバウンドを取っていましたね。特に大きい選手相手にはよくこのシーンを見ました。
また、試合前に相手選手のシュートを映像で研究して、どこにボールが落ちるかを予習してたのは有名な話です。
さすがリバウンドを極めた選手ですね。
年 | チーム | リバウンド |
1991-92 | ピストンズ | 18.7 |
1992-93 | ピストンズ | 18.3 |
1993-94 | スパーズ | 17.3 |
1994-95 | スパーズ | 16.8 |
1995-96 | ブルズ | 14.9 |
1996-97 | ブルズ | 16.1 |
1997-98 | ブルズ | 15.0 |
平均 | 16.7 |
シカゴ・ブルズに加入
当時のシカゴブルズはインサイドの要だったホーレス・グラントがオーランドマジックへ移籍した為、早急にインサイドのプレーヤーを補強しなければなりませんでした。
そこで白羽の矢が立ったのが、ロッドマンでした。
ブルズは問題児だったロッドマンをスパーズから引き取ります。ロッドマンがブルズにフィットするかどうかは完全にギャンブルでした。
スパーズ時代同様ブルズでも問題を起こすリスクはありました。
しかし、当時シカゴブルズの監督だったフィル・ジャクソンがロッドマンをうまくコントロールします。ロッドマンはシカゴブルズに完全にフィットしました。
ロッドマンが加入したシカゴブルズは1995年ー1996年シーズンに、当時のNBAレギュラーシーズンの記録となる72勝10敗を記録しました。
そして、その年NBAチャンピオンになります。
この時のシカゴブルズは今でもNBA史上最強のチームとして語り継がれています。
その後、ブルズは1997年、1998年にも優勝し、スリーピート(三連覇)を達成しました。

ロッドマンはディフェンス力が凄すぎ
現役時代のロッドマンのディフェンス力は相当なものでした。カール・マローンやシャキール・オニールなどNBA史上に残る名プレーヤー達を持ち前のディフェンス力で苦しめました。
明らかにサイズで劣るロッドマンが彼らを止めている姿を見ると、本当に凄いと思いましたね。
ブルズ時代以降
ロッドマンは、シカゴ・ブルズ退団後1999年にレイカーズで1年間プレーします。また、2000年にはマーク・キューバンがオーナーのダラス・マーベリックスでプレーしました。
その後はNBA下部組織のロングビーチジャムなどでプレーし引退します。ロングビーチジャムでは当時NBAを目指していた田臥勇太選手と一緒にプレーしていました。
ロッドマンと田臥選手が一緒のチームなんて夢のようでした。
ロッドマンの好きな音楽
ロッドマンは音楽グループ「パール・ジャム」が大好きです。ちなみにパール・ジャムはアメリカワシントン州シアトル出身のロックバンド。
ロッドマンはパール・ジャムの公演中にサプライズ登場するなど、パール・ジャムと親交があります。特にエディ・ウェダーはロッドマンの大のお気に入りですね。
また、ロッドマンはパール・ジャムを聞いて瞑想するのが好きです。
↓パール・ジャムの公演に登場するロッドマン、ブルズのユニフォーム姿がかっこいい。
カール・マローンとプロレスで対戦
ロッドマンとカール・マローンがプロレスで対決。
ちょうどこの頃、ブルズとジャズがライバル関係にあったのでこの対戦はかなり熱かったです。NBAのコート上で繰り広げられていた争いが、プロレスのリングにwww
マローンのフロント・ハイキックがやばいっす!あとマローンのボディスラムが凄すぎてびっくり。

ロッドマンの名言
- マイケル・ジョーダンがダンクでやったような事を、リバウンドでやりたいんだ。
- 世界中、どこを探しても背中に翼が生えているのはアイツ(マイケル・ジョーダン)くらいのもんさ。
- ブルズには、スーパーマンとバッドマンとロッドマンがいる。
- 俺は自分自身をリーグで最高に人気のある3人のうちの1人だと思う。あとの二人はジョーダンとシャックだ。
- スパーズでは30秒遅刻すると、500ドルの罰金を科せられた。ブルズでは遅刻に対する罰金は5ドルで、それもフリースロー対決で帳消しにするチャンスがあった。
ロッドマンの名言はいっぱいありますが、特に私が好きな名言を紹介してみました。
金正恩総書記と親密
ロッドマンは北朝鮮の金正恩総書記と親密。
自分で友達って言い切ってるから間違いないです。
2013年には訪朝し、金正恩総書記と対談しました。金正恩総書記が大のバスケットボールファンであることは有名な話です。
ロッドマンはスポーツ選手の枠を超え国家をも動かしてしまいそうですね。

ちなみにロッドマンはトランプ大統領とも親密。
なのでアメリカと北朝鮮の架け橋になるのではないかと言われたりもします。
ウェディングドレスを着て登場
ロッドマンは自伝の「デニスロッドマンのわるがままに」、「デニスロッドマンのわるがままに2」と言う本を書いています。
内容はバスケットボールの話題もそうですが、歌手のマドンナとの関係などバスケット以外の内容もたくさん書かれていて面白かったです。
ちなみに1996年にこの本のプロモーションを行った際、ロッドマンはなんとウェディングドレス姿で登場。
当時は相当話題になりました。
日本でもCMに出てた
昔はこんなCMにも出てました(なつかしー)
ロッドマンを起用したダンロップの担当者さすがです。
多分バスケ好きだろうな。
ロッドマンの経歴
NBAチャンピオン(1989、1990、1996、1997、1998)
NBAオールスター(1990、1992)
オールNBAサードチーム(1992、1995)
オールNBAディフェンスブファーストチーム(1989-1993、1995、1996)
オールNBAディフェンシブセカンドチーム(1994)
リバウンド王(1992-1998)
フィールドゴール成功率1位(1989)

2011年、殿堂入りでのスピーチ
ブルズカラーにPISTONSとBULLSの刺繍が入ったかっこいいスーツで登場したロッドマン。
ブルズ時代のヘッドコーチだったフィル・ジャクソンが近くで見守ってくれてるのがなんとも微笑ましい。ロッドマンがフィル・ジャクソンの事を慕っているのが伝わってきます。
客席にはスコッティ・ピッペンや前NBAコッミッショナーのデビッド・スターン、今現在(2018年)のNBAコミッショナーであるアダム・シルバー、ロッドマンのお母さん、元ブルズのGMジェリー・クラウスの姿もあります。
会見では涙ぐむシーンが多いロッドマン。外見が派手なので誤解されがちなのかもしれませんが、本当は物凄くピュアなのかもしれません。
それはそうと、2順目指名から殿堂入り選手になったロッドマンは本当に凄い。
ディフェンスとリバウンドだけでここまでこれるロッドマンはまさにNBAの異端児です。
それではまた。