
プロフィール
誕生日:1968年7月23日
出身国:アメリカ
出身地:カリフォルニア州オークランド
ポジション:ポイントガード
ドラフト順位:1990年1順目2位
ドラフトチーム:シアトルスーパーソニックス
出身校:オレゴン州立大学
身長:191cm 体重:82kg
目次
ゲイリー・ペイトンはディフェンスの名手
ゲイリー・ペイトンと言えばいわずと知れたディフェンスの名手でした。
1994年から2002年まで9年連続でNBAオールディフェンシブファーストチームに選出されています。
ちなみに9回選出されたのはマイケル・ジョーダンとケビン・ガーネット、コービー・ブライアントしかいません。これは今現在(2018年12月)でもNBAレコードです。
そして、1996年にはNBAディフェンシブプレーヤーオブザイヤーを獲得しています。
ポイントガードでこの賞を獲得したのは長いNBAの歴史の中でもゲイリー・ペイトンただ一人(2018年12月現在)
1996年にはスティール王にも輝いています。
なのでペイトンはNBA史上最もディフェンシブなポイントガードと言っていいですね。

高校時代、オレゴン大学時代
ペイトンはスカイライン高校時代に、のちにNBA選手となるグレッグ・フォスターと一緒にプレーしていました。
※グレッグ・フォスターはユタジャズなどで活躍した選手です。
また、オレゴン州立大学時代にはもっとも素晴らしい大学生選手としてスポーツイラストレイテッド誌の表紙を飾りました。
ちなみに今でもペイトンはオレゴン州立大学で数々の記録を保持しています(得点、フィールドゴール、スリーポイントフィールドゴール、アシスト、スティールすべてペイトンの記録が1番)
もちろん背番号20番はオレゴン州立大学の永久欠番になっています。
1990年NBAドラフト
1990年のNBAドラフトにおいてゲイリー・ペイトンは1順目2位でシアトル・スーパーソニックスに指名されました。ちなみに1位は悪名高きデリック・コールマンでした。
ある意味このドラフト強烈です。
3位は日本でもプレーした事があるクリス・ジャクソン。ちなみにペイトンの高校時代の同級生グレッグ・フォスターも2順目35位でワシントン・ブレッツに指名されています。
シアトルスーパーソニックス時代
ペイトンは最初の2シーズンは苦戦しました。しかし、その後ソニックスでNBAを代表するポイントガードに成長します。
彼はシアトル・スーパーソニックスの球団記録を沢山持っています。全部1位↓
試合数 | 999試合 |
試合時間 | 36,858分 |
得点 | 18,207得点 |
フィールドゴール成功数 | 7,292本 |
フィールドゴール試投数 | 15,562本 |
3ポイントシュート試投数 | 2,855本 |
アシスト | 7,384本 |
スティール | 2,107本 |
ターンオーバー | 2,507回 |
パーソナルファウル | 2,577回 |
★NBAオールスターには1994年から1998年、2001年から2003年と9度出場しています。

トラッシュトークの達人
ペイトンと言えばトラッシュトークの達人としても有名です。試合中常になんかしゃべりながらプレーしていました。ふてぶてしい態度がペイトンらしかった(笑)
ジョーダンにも普通にトラッシュトークしかけますからね。たいしたもんです。
私の中ではペイトン、レジー・ミラー、ラリー・バードはNBAの3大ラッシュトーカーですね。
ペイトン&ケンプのアリウープ
ペイトンはディフェンスだけでなくオフェンスもすばらしかったです。シアトルスーパーソニックス(現オクラホマシティーサンダー)時代はペイトンからショーン・ケンプへのアリウープは観客を大興奮させていました。
このアリウープは非常に凄かったですし、当時NBAを見ていた方は印象に残っているはずです。

ドリームチーム
1996年にはドリームチームⅢのメンバーとしてアトランタオリンピックで金メダルを獲得。また、2000年にはドリームチームⅣのメンバーとしてシドニーオリンピックで金メダルを取りました。
代表でのペイトンもNBA同様かなり活躍しましたよ。
1996年NBAファイナル進出
ソニックスは1996年にレギュラーシーズン64勝18敗(リーグ2位)を記録します。
その年、スーパーソニックスはNBAファイナルまで勝ち進みました。
相手は今でもNBA史上最高のチームとしてNBAの歴史に名を刻んでいるシカゴブルズ。惜しくも2勝4敗で敗れましたが、ペイトンの活躍は本当にすばらしかったです。ショーンケンプと共にソニックスを牽引しました。

ソニックスからトレード
2002-2003年シーズンのトレードデッドラインにペイトンはデズモンド・メイソンと共にミルウォーキーバックスにトレードされます。相手はレイ・アレン、ケビン・オーリー、ロナルド・マレーでした。
私は、このトレードには正直驚きました。でもペイトンはバックスのユニフォーム結構似合ってましたね。
ただ、バックスでは1シーズンしかプレーしませんでした。翌2003-2004年シーズンペイトンはチャンピオンリングを求めて、ロサンゼルス・レイカーズに移籍します。
2003-2004年ロサンゼルスレイカーズ
正直、このシーズンのロサンゼルスレイカーズはメンバーが凄かった!ペイトン、カール・マローン、シャキール・オニール、コービー・ブライアントなどなど。
もちろん、ペイトンはNBAファイナルに進出します。
ペイトンもマローンもNBAチャンピオンになるためにレイカーズと契約しました。私ももちろんレイカーズが優勝するものだと思っていました。
しかし、デトロイト・ピストンズがペイトンの前に立ちはだかります。
結局レイカーズは1勝4敗でピストンズに負けてしまいました。
ペイトンにとっては本当に悔しかったと思います。
チャンピオンリングを求めてマイアミ・ヒートへ移籍
ペイトンは2005年にマイアミ・ヒートに移籍します。
当時のヒートにはシャキール・オニールやジェイソン・ウィリアムス、ドウェイン・ウェイド等が所属していました。本当に層の厚いチームでしたね。
そして、ヒートは2006年のNBAファイナルでダラス・マーベリックスを倒します。
ペイトンは悲願のチャンピオンリングを獲得しました。
私はペイトンがチャンピオンリングを手に入れてくれて本当に嬉しかったです。

そして、ペイトンは2007年に引退しました。
あのアイバーソンの「プラクティス?」発言の真相
有名なアイバーソンの「プラクティス発言」の裏には実はペイトンが絡んでいました。本当の黒幕は実はペイトンだったのです。
引退後は解説者に
ペイトンは引退後、解説者として大活躍中です!!

イチローの事を褒めまくる
余談ですがペイトンはシアトルスーパーソニックスに所属していたため、シアトルマリナーズのイチローの事をべた褒めしていました。
NBAのスーパースターからも一目置かれているイチローって凄い。
それではまた。