
プロフィール
誕生日:1963年5月24日
出身国:アメリカ
出身地:ルイジアナ州シュリーブポート
ポジション:シューティングガード
ドラフト順位:1985年1順目18位
ドラフトチーム:デトロイト・ピストンズ
出身校:マクニース州立大学
身長:190cm 体重:90kg
目次
ジョー・デュマース
ジョー・デュマースは「バッドボーイズ」の良心として知られる選手。
当時のデトロイト・ピストンズはものすごく激しいディフェンスをするチームとして有名でした。あのマイケル・ジョーダンも彼らのディフェンスにかなり苦しんでいます。
当時のピストンズにはアイザイア・トーマス、ビル・レンビア、デニス・ロッドマン、リック・マホーン、ジョン・サリー、ビニー・ジョンソンなどが所属していました。
彼らは「バッドボーイズ」と呼ばれNBAを席巻します。
バッドボーイズは相手との接触も恐れずに、非常にタフなディフェンスで相手を打ちのめしていました。
その中でも唯一良心的で真面目な選手がジョー・デュマースだったんですね。
ラフプレーが多く気性の荒い選手が多い中、彼だけは紳士的な振る舞いをしていました。なので、他のチームの選手からも尊敬されていました。
ジョーダンルール
ピストンズはデュマースを中心に1989年のイースタンカンファレンスファイナルで、ジョーダンルールを使います。この作戦はジョーダンをかなり苦しめました。
※ジョーダンルール(マイケルジョーダンを抑えるための特別なディフェンスのルール)
あのジョーダンも苦戦するディフェンスですので、相当凄いディフェンスですよ。
神様ジョーダンからも尊敬される選手
マイケル・ジョーダンはデュマースのことをかなり評価していました。マッチアップしていて非常にタフな相手としてデュマースのことを尊敬しています。
神様マイケル・ジョーダンにここまで認められている選手はそうはいませんのでデュマースの凄さが分かります。
ジョーダンと対等にマッチアップできる選手は長いNBAの歴史の中でもそうはいません。
バックトゥバック
デュマースの大活躍もあり、名将チャック・デイリー率いるバッドボーイズは1989年、1990年に2年連続でNBAチャンピオンになりました。
デュマースは1989年にファイナルMVPに輝いています。

デュマースはとにかくディフェンスがいい
デュマースは非常にディフェンスの素晴らしい選手でした。1989年、1990年、1992年、1993年にオールNBAディフェンシブファーストチームに選出されています。

ちなみにデュマースは中学生の時にアメリカンフットボールをプレーしていました。その時のポジションはなんとディフェンシブバックです。なので、ディフェンスを小さいころから鍛えてたんですね。
デュマースのディフェンスの良さは小さい時から折り紙つきです。
当時ジョーダンはNBAでベストディフェンダーは彼だと言っていました。
マジで凄いっす。
アウトサイドのシュートが入る
デュマースはアウトサイドのシュート力がある選手でした。確率の高いシュートを決めていましたね。
決して派手なプレーはせず基本に忠実なプレーで結果を残しました。
アイザイア・トーマスとのコンビ
アイザイア・トーマスとのツーガードは非常に強力でNBAの歴史の中でもトップクラスのデュオです。
相手チームを本当に苦しめていました。特に若い時のマイケル・ジョーダンはプレーオフで彼ら二人にかなり苦戦していました。
今思えば、ジョーダンが苦戦している姿なんてめったに見ることが出来ないですけどね。
ある意味レアです。
なので、デュマースとトーマスは本当に凄い。
ドリームチームⅡ
ジョー・デュマースはドリームチームⅡのメンバーに選ばれました。当時のデュマースは31歳、若手をまとめるベテランでしたね。
ベテラン選手としてアメリカ代表をまとめていた姿を今でも思い出します。カナダで行われた世界選手権では、もちろん金メダルを獲得しています。
引退後はピストンズの球団社長に
デュマースは1985年から1999年までピストンズ一筋でプレーしました。引退後はピストンズの球団社長として活躍します。
デュマースは球団社長としてすばらしい成績を残しました。
2004年にはピストンズを優勝させます。
選手として2回、球団社長として1回の優勝は本当にすごい!
永久欠番と殿堂入り
彼が現役時代に付けていた背番号4番はピストンズの永久欠番になっています。また、2006年には殿堂入りしました。

自分はかなり好きな選手ですね。
それではまた。