
プロフィール
誕生日:1966年3月4日
出身国:アメリカ
出身地:カリフォリニア州サクラメント
ポジション:ポイント・ガード
ドラフト順位:1987年1順目7位
ドラフトチーム:クリーブランド・キャバリアーズ
出身校:カリフォルニア大学
身長:185cm 体重:86kg
目次
ケビン・ジョンソン(KJ)
ケビン・ジョンソンことKJはNBA史上に残る名ポイントガードでした。
私はケビン・ジョンソンのことが大好きだったので、いつも彼のプレーをかっこいいなぁと思って見ていました。
「KJは本当にかっこよすぎた」
1987年NBAドラフト
ケビン・ジョンソン(KJ)は1987年のNBAドラフトでクリーブランドキャバリアーズに指名されました。
また、KJは野球もうまくオークランド・アスレチックスからドラフトもされています。
「NBAとMLB両方からの指名は本当にすごいこと」
結局KJはMLBではなくNBAの道を選びました。
「今考えるとこの選択は正解だった」
野球を選んでいたら成功できたかどうかは神のみぞ知るところですね。
フェニックスサンズへトレード
キャバリアーズにドラフトされたKJでしたが、当時のキャバリアーズには既にマーク・プライスと言う優秀なポイントガードがいたため、KJは翌年フェニックスサンズへトレードされました。
キャバリアーズではマーク・プライスがいたのであまり活躍できませんでしたが、サンズ移籍後は水を得た魚のごとく大活躍しましす。
1989年にはモストインプルーブドプレーヤーに選出されました。
「サンズにトレードされてよかった」
KJは超攻撃的なポイントガード
KJは超攻撃的なポイントガードとしてNBAにインパクトをのこしました。
ドライブからのレイアップやダンク、中距離のシュートが得意でした。スリーポイントはポイントガードとしては確率が悪かったですが、
それを補うだけの身体能力がありました。特にクイックネスは相当なものでした。
KJのキャリアで1番印象的なプレーはアキーム・オラジュワンの上からダンクを叩き込んだシーンです。KJのあまりの速さにオラジュワンは手も足も出ませんでした。
ちなみにオラジュワンはNBAディフェンシブプレーヤーオブザイヤーを二度も獲得している優秀な7フッター(身長2m13cm)です。
このKJのダンクはめちゃくちゃかっこいいです。今見てもめちゃくちゃ凄いです。
「やっぱKJかっこいい」
ケビン・ジョンソンはアシストもうまい
KJはキャリアで平均アシスト9.3本という素晴らしい数字を残しています。ただ、現役当時はシュートのイメージが強くてあまりアシストしていたという印象が無かったですが。
ちなみにKJは1988ー1991年シーズンまで3年連続で平均20得点10アシスト以上を記録しました。3年連続でこの記録を達成したのはオスカー・ロバートソンとアイザイア・トーマス(ピストンズのレジェンドのほう)の2人のみです。
ドリームチームⅡとNBAオールスター
KJは1994年にドリームチームⅡに選出され世界選手権で金メダルを獲得しました。また、NBAオールスターには1990年、1991年、1994年に3回出場しています。
KJに対する批判
KJは時にシュートを打ちすぎるという批判を受けていましたが、今現在のアップテンポなバスケットボール(1990年代はハーフコートバスケットが主流)ではそういう批判も出なかったでしょう。
今のようにポイントガードがどんどんシュートを打つスタイルのバスケットだったらもっと得点を取っていたでしょうね。
1993年NBAファイナル
KJは1993年のNBAファイナルでシカゴブルズと対決しました。
惜しくもシカゴブルズに敗れましたが、KJの活躍は今でも忘れられません。
シカゴブルズが優勝を決めた試合では、サンズにも最後に逆転するチャンスがわずかですがありました。この場面は今でも鮮明に覚えています。
残り数秒KJがフリースローライン付近で逆転を狙いジャンプシュートを放ったんですが、後ろから来たホーレス・グラントにブロックされ試合終了でした。
この時KJが決めていればサンズのファンは本当に盛り上がったでしょう。
ブルズが勝ったんですが、私は当時サンズもブルズも大好きでしたので本当に複雑な気分でした。
KJにも勝ってほしかったし、ブルズにも勝ってほしかった。
このNBAファイナルがKJのキャリアで一番のハイライトといっていいです。
引退から復活
KJは1998年に1度引退しました。しかし、1999-2000年シーズンの途中に電撃復帰をします。これは当時サンズのポイントガードだったジェイソン・キッドが怪我をしたためでした。
このKJの復帰は相当うれしかったです(KJはその年のプレーオフでレイカーズに敗れたあと、再度引退しています)
KJの背番号7番はフェニックスサンズの永久決番になりました。
「背番号7番が本当にかっこよかった!」
サクラメント市長
KJは現役時代から政治に興味がありました。NBAから引退後には出身地サクラメントの市長に2008年に選出されています。
KJは野球、バスケットボール、政治家と本当に多才な人です。

それではまた。