
プロフィール
誕生日:1970年2月8日
出身国:アメリカ
出身地:バージニア州・チェサピーク
ポジション:センター
ドラフト順位:1992年1順目2位
出身校:ジョージタウン大学
ドラフトチーム:シャーロットホーネッツ
身長:208cm 体重:123kg
目次
アロンゾ・モーニング
アロンゾ・モーニングはインサイドがめちゃめちゃ強い選手でした。どちらかと言うとオフェンスよりもディフェンスのほうが得意な選手でしたね。
ディフェンシブプレーヤーオブザイヤーには2回(1999、2000)も選出されています。
またオールNBAディフェンシブファーストチームにも2回(1999、2000)ブロック王に2回(1999、2000)選出されました。
これだけ見ても物凄く守備的な選手だったことが分かります。
「特にブロックはまじですごかった」
もちろんオフェンスも十分すごかったですよ。
センター養成学校ジョージタウン大学卒
アロンゾ・モーニングはジョージタウン大学の出身です。
ジョージタウン大学は優秀なセンタープレーヤーを輩出する事で知られており、当時ビッグマン養成学校と呼ばれていました。
当時の監督はジョン・トンプソンです。
パトリック・ユーイングやディケンベ・ムトンボなどそうそうたるセンタープレーヤーを輩出しており、NBAで活躍するセンターと言えばジョージタウン大学出身選手が多かったです。
その中から出てきた選手がアロンゾ・モーニングでした。
「ジョージタウン大卒のビッグマンは本当に良い選手が多かった」
1992年NBAドラフト
モーニングは1992年のNBAドラフトにおいて1順目2位でホーネッツに指名されました。ちなみに1位はシャックでした。3位はデューク大学の大スタークリスチャン・レイトナーです。
「シャックが1位でモーニングが2位ってwこのドラフトレベル高っ!」
ルーキーイヤーから大活躍
モーニングはルーキーイヤーから平均21得点、10.3リバウンドの成績を残しました。この数字はデビッド・ロビンソン以来の高記録でしたね。
「ルーキーイヤーから平均ダブルダブルってすごい」
ちなみにルーキーオブザイヤーの投票ではシャックに次いで2位でした。
フューチャーブルズ
当時のモーニングのチームメートにはラリー・ジョンソン、ケンドール・ギルなど才能豊かな若手選手が揃っており、
そのまま一緒のチームで成長していけば、当時全盛期だったシカゴブルズのようなチームになれると言う意味で「フューチャー・ブルズ」と呼ばれていました。
そのフューチャーブルズのインサイドの要がモーニングだったんです。モーニングは個人的には活躍していましたが、残念な事にシャーロットホーネッツはフューチャーブルズにはなれませんでした。
「当時はかなり期待されてたんですけどね」
っていうかもうフューチャーブルズって言う響きがかっこよかった。
ドリームチームⅡとドリームチームⅣで金メダル
モーニングは1994年バスケットボール世界選手権にドリームチームⅡのメンバーとして出場しました。そしてもちろん金メダルを獲得しています。また2000年のシドニーオリンピックでもアメリカ代表で金メダルを獲得しました。
この当時NBAを代表するセンタープレーヤーだったのは間違いないです。
マイアミヒートへ移籍
ホーネッツ在籍時のモーニングも素晴らしかったですが、1995年にはホーネッツからマイアミヒートへ移籍しました。マイアミヒートではティム・ハーダウェイとのコンビが非常に素晴らしかったです。
この2人がいて弱い分けない。本当に素晴らしいチームでした。
ライバルニューヨークニックス
当時のモーニングのライバルチームはニューヨークニックスでした。ニックスとの試合はいつも大荒れでしたね。お互い激しくディフェンスしあうので80点から90点台の試合が多かったです。
今のNBAからしたら信じられないかもしれないですが、これが当たり前でした。
下はモーニングとラリー・ジョンソンの乱闘シーンです。1998年のプレーオフでの出来事でした。ちなみにラリー・ジョンソンはホーネッツ時代のチームメイト。
アシスタントコーチだったジェフ・ヴァンガンディーが止めに入ったシーンは有名でした。
バンガンディが2人を止めようと足にしがみつくんですが、こんなでかい選手達の中に突っ込んでいくバンガンディの勇気がすごかったです。
むしろバンガンディにディフェンシブプレーヤーオブザイヤーをあげたい位でしたよ。
恐竜に挑んだ小動物のようでした。
病気を乗り越えてNBAチャンピオンに
モーニングは腎臓の病気を患っており、思いっきりプレー出来ていなかった時期がありました。
正直私はこのニュースを聞いた時はショックでした。
一度は引退したんですが、彼は2003年の2月に腎臓移植の手術を受け病気を乗り越えました。その後ニュージャージネッツでプレーし、2005年シーズンにはヒートに復帰しました。
「モーニングが復帰した時は本当にうれしかった」
当時のマイアミヒートはゲイリーペイトン、ジェイソン・ウィリアムズ、ドウェイン・ウェイド、シャキール・オニール、アントワン・ウォーカーなどビッグネームが多数在籍していました。
モーニングとシャックが一緒のチームなんてもう半分ドリームチーム状態でしたね。
本当にすごいチームでした。もちろんNBAファイナルにでましたし、ダラスマーベリックスを倒し優勝しています。
私はこの時、病気から復帰したモーニングがNBAチャンピンになってくれて非常に嬉しかったです。
「本当に感動したのを今でも思い出します」
背番号33番はヒートの永久決番になりました。

それではまた。