歴代NBAチーム

シカゴ・ブルズの黄金期について書いてみた。

投稿日:2018年7月23日 更新日:

りとる・あいばーそん
今回はシカゴ・ブルズの黄金期を紹介するっす!

長いので目次から好きなとこへ行ってください。

目次

シカゴ・ブルズ黄金期の始まり。

1990-1991年シーズンはブルズ王朝が始まったシーズンでした。

当時のシカゴ・ブルズはマイケル・ジョーダンを中心にした本当に素晴らしいチームでしたね。

この年のブルズは本当にかっこよかったし、めっちゃ強かったです!

ただ、シカゴ・ブルズは簡単に王朝を築けたわけではありません。

宿敵デトロイト・ピストンズ

信じられないかもしれませんが、あのマイケル・ジョーダンですら1980年代は優勝する事はおろかNBAファイナルに出場する事さえ出来きていません。

なぜならば、1980年代後半、イースタンカンファレンスはデトロイトピストンズが猛威を振るっていたからです。

アイザイア・トーマスジョー・デュマースデニス・ロッドマン等が所属していたピストンズはバッドボーイズと呼ばれ非常にディフェンシブなチームでした。

彼らはジョーダンルールを用いて、完全にマイケル・ジョーダンを封じ込めました。因みにピストンズは、1989年と1990年にNBAファイナル2連覇を達成しています。

りとる・あいばーそん
この時のピストンズは本当にディフェンスがいいチームだった!

ジョーダン率いるシカゴ・ブルズはデトロイト・ピストンズの壁をなかなか打ち破ることが出来ませんでした。

1988年(カンファレンスセミファイナル)、1989年(カンファレンスファイナル)、1990年(カンファレンスファイナル)で3年連続ピストンズに負けています。

りとる・あいばーそん
あのブルズですらそういう時代があったわけですね。はい。

 

1990ー1991年シーズンのシカゴ・ブルズ

1990-1991年シーズンのシカゴ・ブルズはマイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペン、ジョン・パクソン、ホーレス・グラントビル・カートライトB・J・アームストロングなどが所属していました。

クレイグ・ホッジスなどのシューターも充実していましたね。

監督はフィル・ジャクソンです。

このシーズン、打倒ピストンズに燃えるシカゴ・ブルズは飛ぶ鳥を落とす勢いで勝ち続けました。

ブルズはこの年のレギュラーシーズンで61勝21敗の成績を残します。

これはイースタンカンファレンストップの成績でした。

ブルズ大躍進のきっかけは1989年にフィル・ジャクソンが監督に就任した事が大きかったと思います。

またドラフト指名したホーレス・グラントやスコッティ・ピッペン(シアトルスーパーソニックスから獲得)が成長したことも大きな要因でした。

特にスコッティ・ピッペンはシカゴ・ブルズの大躍進に大きな役割を果たしていましたね。

それまでは、ジョーダンのワンマンチームと言われ続けていたシカゴ・ブルズ。しかし、周囲はスコッティ・ピッペンと言うもう一人のスーパースターの存在を無視する事が出来きなくなりました。

2人のスーパースターの活躍はNBAにインパクトを与えました。

りとる・あいばーそん
ジョーダンとピッペンのコンビは本当にすごかった!
1990-1991年シーズン、シカゴ・ブルズメンバー

背番号10 BJ・アームストロング(PG)

背番号24番 ビル・カートライト(C)

背番号54番 ホーレス・グラント(PF)

背番号14番 クレイグ・ホッジス(SG)

背番号2番 Dennis・Hopson(SG)

背番号23番 マイケル・ジョーダン(SG)

背番号21番 ステイシー・キング(PF)

背番号53番 クリフ・リビングストン(PF)

背番号5番 ジョン・パクソン(PG)

背番号32番 ウィル・パデュー(C)

背番号33番 スコッティー・ピッペン(SF)

背番号42番 スコット・ウィリアムズ(PF)

監督 フィル・ジャクソン

トライアングルオフェンス導入

忘れてはならないのがフィル・ジャクソン就任後、ブルズはトライアングルオフェンスを取り入れたことです。

その後、徐々にトライアングルオフェンスの浸透したシカゴ・ブルズは次第にアンストッパブルなチームへ変貌していきました。

フィル・ジャクソン監督やトライアングルオフェンスの考案者テックス・ウィンターがいた当時のシカゴ・ブルズは選手だけではなくコーチ陣も最高でしたね。

りとる・あいばーそん
ブルズのトライアングルオフェンスは本当に凄かった!

1990ー1991年シーズンのNBAプレーオフ

ブルズはプレーオフ1回戦でパトリック・ユーイング率いるニューヨーク・ニックスを3勝0敗、カンファレンスセミファイナルではチャールズ・バークレー率いるフィラデルフィア・セブンティーシクサーズを4勝1敗で倒します。

難なくカンファレンスファイナルに進出したシカゴ・ブルズでしたが相手はあの宿敵ピストンズでした。

1990年のイースタンカンファレンスファイナル

ブルズは宿敵ピストンズとまたしてもプレーオフで対戦します。

それまではピストンズに圧倒され続けていたブルズでしたが、このシーズンは様子が違いました。

カンファレンスファイナル結果↓

第1戦(ホーム) 94対83
第2戦(ホーム) 105対97
第3戦(アウェイ) 113対107
第4戦(アウェイ) 115対94
結果 ブルズが4勝0敗でNBAファイナル進出

あれだけ苦しめられていたピストンズをなんとスウィープで打ち破ります。

ブルズにとっては最高の瞬間でしたし、ピストンズにとっては屈辱的なシリーズになりました。

まだ試合が終わってないにもかかわらず、退場していったピストンズの選手達は相当悔しかったんだと思います。

りとる・あいばーそん
バッドボーイズらしいっすね

この年のジョーダンはエアー・ジョーダン6を着用。

この年のジョーダンはエアジョーダン6を着用していました。スラムダンクの中で桜木花道が履いていたバッシュと言えば分かりやすいでしょう。

ジョーダン6を履いていたジョーダンがかっこよすぎて、やばかったです。

プレーもバッシュも全部が最高なジョーダンはやっぱ特別な選手だったんだなと今でも思います。

りとる・あいばーそん
ジョーダン最高!!!

1991年NBAファイナル

ついにNBAファイナルまで辿り着いたシカゴ・ブルズの相手はマジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズ。

当時のレイカーズにはマジック・ジョンソン、バイロン・スコット、ジェームズ・ウォージー、サム・パーキンス、ブラデ・ディバッツ等名選手が多数いました。

マジックを中心にした本当にいいチームだったと思います。

今考えてみても、1980年代を代表するロサンゼルス・レイカーズと1990年代を代表するシカゴ・ブルズとの戦いは本当に最高の組み合わせでしたね。

もちろん1991年のNBAファイナルでは数々の名シーンが誕生しました。

スコッティ・ピッペンがマジック・ジョンソンにマッチアップした場面や、NBAファイナル第2戦で見せたジョーダンのダブルクラッチなどは今見ても本当に凄いです。

何年経っても色褪せません。

りとる・あいばーそん
ジョーダンのダブルクラッチがやばいんだなこれがまた。

1991NBAファイナル結果↓
第1戦(ホーム) 91対93でブルズが負け
第2戦(ホーム) 107対86でブルズが勝ち
第3戦(アウェイ) 104対96でブルズが勝ち
第4戦(アウェイ) 97対82でブルズが勝ち
第5戦(アウェイ) 108対101でブルズが勝ち
結果 4勝1敗でブルズ初優勝

第1戦を落としたシカゴ・ブルズでしたが、第2戦からはピッペンがマジック・ジョンソンをマークしました。

これが功を奏しシリーズの流れがかわります。

その後、4連勝したシカゴ・ブルズは念願の初優勝を果たしました。

ジョーダンがNBAの顔に

マイケル・ジョーダンはプロ入りして7年目に、ようやく悲願のチャンピオンリングを手に入れました。

この年自身初のファイナルMVPにも輝いています。

1980年代NBAに君臨していたロサンゼルス・レイカーズやデトロイトピストンズなどを倒したマイケル・ジョーダンはNBAを象徴する選手になりました。

りとる・あいばーそん
当時のジョーダン人気は本当に凄かった!!

 

1990-1991年シーズンのNBAはある意味特別なシーズンでしたね。

このシーズンはラリー・バードやマジック・ジョンソン、アイザイア・トーマスなどの時代からジョーダンの時代へと完全に世代交代が行われました。

その後のジョーダンやシカゴ・ブルズの活躍は本当に凄かったです。

私はジョーダンやシカゴ・ブルズと共に歩んできた90年代のNBAが今でも忘れられません。

その始まりが1990-1991年シーズンだったんです。

りとる・あいばーそん
やっぱブルズ最高!!

1991ー1992年シーズンのシカゴ・ブルズ

1990ー1991年シーズンに念願の初優勝を飾ったシカゴ・ブルズは全盛期を迎えます。

ブルズはチームワークが良くて、本当に素晴らしいチームでした。

そして、ブルズの代名詞とも言えるトライアングルオフェンスはさらに円熟味を増していました。

流れるようなオフェンスは本当に凄かったです。

また、マイケル・ジョーダンとスコッティ・ピッペンはリーグを代表するコンビへと成長しました。

さらには、ホーレス・グラント、ビル・カートライト、B・J・アームストロング、ジョン・パクソンなども各自の役割をしっかりとこなしシカゴ・ブルズはさらに隙の無いチームになりましたね。

特にB・J・アームストロングの成長は目覚しく、シカゴ・ブルズのチーム力を底上げしました。

ブルズはこの年のレギュラーシーズンで前年の61勝21敗を上回る67勝15敗を記録します。なんと勝率は8割をこえていました。

りとる・あいばーそん
すげー
1991-1992年シカゴ・ブルズメンバー

背番号10 BJアームストロング(PG)

背番号24番 ビル・カートライト(C)

背番号54番 ホーレス・グラント(PF)

背番号14番 クレイグ・ホッジス(SG)

背番号20番 ボビー・ハンセン(SG)

背番号23番 マイケル・ジョーダン(SG)

背番号21番 ステイシー・キング(PF)

背番号53番 クリフ・リビングストン(PF)

背番号5番 ジョン・パクソン(PG)

背番号32番 ウィル・パデュー(C)

背番号33番 スコッティー・ピッペン(SF)

背番号42番 スコット・ウィリアムズ(PF)

戦番号52番 Mark・Randall

背番号25番 Nevitt・Chuck

監督 フィル・ジャクソン

ジョーダンの賭博疑惑

この年、ジョーダンは賭博容疑で多方面からバッシングを受けました。

ジョーダンのイメージがかなり悪くなったのはいうまでもありません。

アメリカのニュースなどでもジョーダンの賭博容疑に関して報道されていました。しかし、その後賭博容疑が晴れたジョーダンはよりいっそうバスケットボールに専念します。

りとる・あいばーそん
ジョーダンがギャンブル好きなのはかなり有名

プレーオフへ進出

何はともあれ、二人のスーパースターに率いられたシカゴ・ブルズはリーグ最高勝率を記録しプレーオフに進出します。

1992年のプレーオフファーストラウンドではスティーブ・スミスやグレン・ライスなどがいた新進気鋭のチームマイアミ・ヒートをスウィープしています。

負ける要素が全くありませんでしたね。

第3戦ではジョーダンが56得点と大活躍しています。

りとる・あいばーそん
さすがジョーダン!
ファーストラウンド
第1戦(ホーム) 113対94 ブルズ勝ち
第2戦(ホーム) 120対90 ブルズ勝ち
第3戦(アウェイ) 119対114 ブルズ勝ち

ニューヨーク・ニックスに苦戦

1992年のカンファレンスセミファイナルの対戦相手はパット・ライリー率いるニューヨーク・ニックスでした。

シカゴ・ブルズが圧倒的に有利と思われていましたが、ニューヨー・クニックスは全力でシカゴ・ブルズを倒しに来ます。

パトリック・ユーイングやジョン・スタークス、ゼイビア・マクダニエル、チャールズ・オークリー、アンソニー・メイソンなどを擁していたニューヨーク・ニックスは非常にタフなチームでした。

彼らはブルズを簡単にカンファレンスファイナルへは進出させませんでしたね。

難なく突破できるというシカゴ・ブルズの考えは完全に間違っていました。シリーズは第7戦までもつれます。

大学時代からジョーダンのライバルだったユーイングはついにマイケル・ジョーダンを倒すチャンスを手に入れました。

しかし、第7戦ではジョーダンが大活躍しシカゴ・ブルズを勝利に導きます。

このジョーダンの勝負強さはさすがとしか言いようがありません。

マクダニエルを追いかけていってボールを叩いたプレーは本当に凄かったです。

りとる・あいばーそん
この時代のブルズ対ニックスの試合は本当に最高!
1992年カンファレンスセミファイナル結果
第1戦(ホーム) 89対94 ブルズ負け
第2戦(ホーム) 86対78 ブルズ勝ち
第3戦(アウェイ) 94対86 ブルズ勝ち
第4戦(アウェイ) 86対93 ブルズ負け
第5戦(ホーム) 96対88 ブルズ勝ち
第6戦(アウェイ) 86対100 ブルズ負け
第7戦(ホーム) 110対81 ブルズ勝ち

1992年イースタンカンファレンスファイナル

カンファレンスファイナルの相手はマーク・プライスやブラッド・ドアティー等の名選手を擁したクリーブランド・キャバリアーズでした。

プレーオフでマイケル・ジョーダンに幾度と無く敗れ去ったキャバリアーズでしたが、この年も4勝2敗でシカゴ・ブルズに敗北しています。

りとる・あいばーそん
やっぱブルズ強い!
1992カンファレンスファイナル
第1戦(ホーム) 103対89 ブルズ勝ち
第2戦(ホーム) 81対107 ブルズ負け
第3戦(アウェイ) 105対96 ブルズ勝ち
第4戦(アウェイ) 85対99 ブルズ負け
第5戦(ホーム) 112対89 ブルズ勝ち
第6戦(アウェイ) 99対94 ブルズ勝ち

1992年NBAファイナル

NBAファイナルの対戦相手はウエスタンカンファレンスチャンピオンのポートランド・トレイルブレイザーズでした。

ブレイザーズにはスーパースターのクライド・ドレクスラー、ダニー・エインジ、テリー・ポーター、ケビン・ダックワース、ジェローム・カーシー、クリフォード・ロビンソン等素晴らしい選手が揃っていました。

当時ジョーダンとドレクスラーはライバル同士だったので、かなり熱い対決になりましたね。

ジョーダン対ドレクスラーの対決は非常に見ごたえがありました。

ジョーダンのスリーポイントが炸裂

NBAファイナル第1戦では伝説が誕生しました。

マイケル・ジョーダンの3ポイントシュートが次々と決まります。

前半だけで6本の3ポイントシュートを決めました。ジョーダン自身も信じられないと言ったジェスチャーをしました。

このシーンはジョーダンを好きな人ならば絶対に見たことがあると思います。それ位有名なシーン。

この試合ジョーダンは前半だけで35得点を獲りました。試合はもちろんブルズが圧勝しています。

りとる・あいばーそん
ジョーダンすげー

しかし、続く第2戦はブレイザーズが意地を見せ敵地で勝利します。

第3戦はブルズ、第4戦はブレイザーズがそれぞれ勝利し、シリーズは2勝2敗のタイになりました。

この時点ではどちらが勝つかまだ分かりませんでしたが、

第5戦、第6戦とブルズが2連勝し、NBAファイナル2連覇(バックトゥバック)を達成しました。もちろんジョーダンがファイナルMVPを受賞しています。

当時全盛期だったシカゴ・ブルズが世界中のバスケットボールファンを熱狂させたのは間違いないですし、私もそのうちの一人でした。

りとる・あいばーそん
本当にブルズに強かった!
1992NBAファイナル
第1戦(ホーム) 122対89 ブルズ勝ち
第2戦(ホーム) 104対115(延長) ブルズ負け
第3戦(アウェイ) 94対84 ブルズ勝ち
第4戦(アウェイ) 88対93 ブルズ負け
第5戦(アウェイ) 119対106 ブルズ勝ち
第6戦(ホーム) 97対93 ブルズ勝ち

 

優勝インタビュー↓

無事に2連覇を達成したシカゴ・ブルズ。とにかく全てがかっこよかったです。

カンファレンスセミファイナルではニックスに崖っぷちまで追い詰められましたが、やっぱりそこはジョーダンが何とかしてくれましたね。

とにかくジョーダンはいつも勝負強かった!

チームを勝たせることが出来るジョーダンは真のスーパースターだと思います。

彼が見せた1992年のNBAファイナル第1戦でのパフォーマンスは今後も語り継がれていくでしょう。

ジョーダン対ドレクスラーのライバル対決も最高でしたね。

りとる・あいばーそん
1992年のNBAファイナル本当に楽しかった!

1992-1993年シーズンのシカゴ・ブルズ

1991年、1992年と連覇したシカゴ・ブルズ。

主力メンバーは長年同じチームでプレーしており、チーム自体も成熟していました。

この頃のブルズは無敵でしたね。

特にトライアングルオフェンスは本当にに素晴らしかったです。

ジョーダンとピッペンも全盛期真っ只中でした。

また、B・Jアームストロングがこのシーズンからさらに存在感を増してきましたね。

りとる・あいばーそん
BJはいいポイントガードだった。
1992-1993シカゴ・ブルズメンバー

背番号10 BJアームストロング(PG)

背番号24番 ビル・カートライト(C)

背番号54番 ホーレス・グラント(PF)

背番号12番 corey・williams(PG)

背番号20番 ダレル・ウォーカー(SG)

背番号23番 マイケル・ジョーダン(SG)

背番号21番 ステイシー・キング(PF)

背番号5番 ジョン・パクソン(PG)

背番号32番 ウィル・パデュー(C)

背番号33番 スコッティー・ピッペン(SF)

背番号42番 スコット・ウィリアムズ(PF)

背番号6番 トレント・タッカー(SG)

戦番号22番 Rodney・McCray(SF)

背番号45番 ED・Nealy(PF)

監督 フィル・ジャクソン

チャールズ・バークレーの移籍

3連覇のかかっていたシカゴ・ブルズでしたが、この年はNBAで大きな動きがありました。

ジョーダンのライバルだったチャールズ・バークレーがチャンピオンリングを獲得するためにフィラデルフィア・セブンティーシクサーズからフェニックス・サンズへ移籍します。

全盛期のチャールズ・バークレーの移籍はリーグのパワーバランスを変えました。

もともとフェニックス・サンズにはケビン・ジョンソンダン・マーリーなどの素晴らしい選手がいましたが、そこにバークレーが加わりフェニックス・サンズはさらに強豪チームへと生まれ変わります。

当時のサンズは本当にいいチームでしたし、めちゃくちゃかっこよかったですね。

そんなサンズは、レギュラーシーズンを62勝20敗で終えました。これは全チーム中トップの成績です。

なのでプレーオフではどのチームと対戦してもホームコートアドバンテージを持っていました。

もちろんブルズが相手でも。

ブルズもウエスタンカンファレンスに新たな勢力が生まれて少しあせったんじゃないでしょうか?

ライバル、ニューヨーク・ニックス

イースタンカンファレンスではシカゴ・ブルズのライバルだったニューヨーク・ニックスも次第に力を付けつつありました。

パトリック・ユーイングジョン・スタークス、チャールズ・オークリー、アンソニー・メイソン等がいて、非常にディフェンスがいいフィジカルなチームでした。

このシーズン好調だったニックスはレギュラーシーズンで60勝22敗の記録を残します。これはイースタンカンファレンストップの成績でした。

ブルズの1992-93レギュラーシーズンの成績

この年のシカゴ・ブルズは57勝25敗とレギュラーシーズンの成績はあまりよくありませんでした。

りとる・あいばーそん
ブルズ大丈夫?

1993年プレーオフファーストラウンド

レギュラーシーズンをイースト2位の成績で終えたブルズはプレーオフ1回戦でアトランタホークスと対戦しました。

ブルズはスウィープでホークスを倒します。

さすがのドミニク・ウィルキンスも全盛期のシカゴ・ブルズには手も足も出ませんでした。

りとる・あいばーそん
ジョーダン対ウィルキンス最高!
ファーストラウンド(アトランタ・ホークス戦)
第1戦(ホーム) 114対90 ブルズ勝ち
第2戦(ホーム) 117対102 ブルズ勝ち
第3戦(アウェイ) 98対88 ブルズ勝ち

1993年カンファレンスセミファイナル

ブルズは続くカンファレンスセミファイナルではクリーブランド・キャバリアーズと対戦します。もちろん、キャバリアーズ戦も難なくスウィープし、カンファレンスファイナルへ進出しました。

当時のブルズがセミファイナルで負けるなんて絶対ありえませんでしたね。

りとる・あいばーそん
それ位ブルズは強かった!

ちなみに当時のキャバリアーズには後にブルズの一員となるスティーブ・カーがいました。あとはラリー・ナンスやテレル・ブランドン、ホット・ロッド・ウィリアムズ、マーク・プライスなどがいましたね。

りとる・あいばーそん
懐かしい
カンファレンスセミファイナル(キャバリアーズ戦)
第1戦(ホーム) 91対84 ブルズ勝ち
第2戦(ホーム) 104対85 ブルズ勝ち
第3戦(アウェイ) 96対90 ブルズ勝ち
第4戦(アウェイ) 103対101 ブルズ勝ち

1993年イースタンカンファレンスファイナル

イースタンカンファレンスファイナルの相手は宿敵ニックスとの対戦となりました。

ホームコートアドバンテージを握られていたシカゴ・ブルズはニックスのホームマジソンスクエアガーデンで2連敗してしまいます。

圧倒的にブルズが不利な状況へ追い込まれました。

しかし、シカゴ・ブルズは1991年、1992年と連覇したチームですので簡単に敗れ去るチームではありません。なんと2連敗から4連勝しNBAファイナルへ進出します。

りとる・あいばーそん
さすがブルズ!

ちなみにニックスには今や名監督になったドック・リバースもいましたね。

ニックスのユニフォーム姿のリバースはかなりいい味出してました!

カンファレンスファイナル(ニューヨーク・ニックス戦)
第1戦(アウェイ) 90対98 ブルズ負け
第2戦(アウェイ) 91対96 ブルズ負け
第3戦(ホーム) 103対83 ブルズ勝ち
第4戦(ホーム) 105対95 ブルズ勝ち
第5戦(アウェイ) 97対94 ブルズ勝ち
第6戦(ホーム) 96対88 ブルズ勝ち

1993年NBAファイナル

 

ウエスタンカンファレンスを制したのは大方の予想通りフェニックス・サンズでした。

チャールズ・バークレーはこの年レギュラーシーズンMVPを獲得して、ノリに乗っていましたね。

日本ではジョーダンだけでなくバークレーも大人気の選手だったので、この2人の対決は本当に話題になりました。

全盛期のジョーダン対バークレーの対決は最高でしたね。

りとる・あいばーそん
今見ても最高!

そして、最高の盛り上がりの中サンズのホームコートで行われた第1戦と第2戦はなんと敵地でブルズが2連勝しました。

サンズにとってはせっかくのホームコートアドバンテージが台無しでしたね。

続く第3戦、第4戦、第5戦はシカゴ・ブルズのホームで行われました。

圧倒的にブルズ有利の状況の中サンズが意地を見せます。第3戦と第5戦はブルズがホームで敗れ、試合は再びアメリカウェストアリーナへ戻りました。

サンズも簡単には優勝させてくれません。

ジョン・パクソンの逆転シュート

運命を握る第6戦ではNBAファイナルの中でも記憶に残るプレーが飛び出します。

試合終了間際に2点リードを奪っていたフェニックスサンズでしたが、ブルズの名脇役ジョン・パクソンが見事に逆転3ポイントを沈めました。

このプレーは本当に凄かったですし、今でも鮮明に覚えています。

りとる・あいばーそん
さすがパクソン!!

しかし、サンズにもまだ逆転のチャンスは残っていました。

残り1秒ケビン・ジョンソンがフリースローライン付近からジャンプシュートを放ちます。

しかし、そのジャンプシュートが決まる事はありませんでした。なぜならば、ホーレス・グラントがどこからとも無く現れケビン・ジョンソンのシュートをブロックしてしまったからです。

最後のシュートがバークレーじゃなくてKJだったのがなんとも言えないですが、出来ればバークレーに打たせて欲しかったですね。

 

1993年NBAファイナル
第1戦(アウェイ) 100対92 ブルズ勝ち
第2戦(アウェイ) 111対108 ブルズ勝ち
第3戦(ホーム) 121対129 ブルズ負け
第4戦(ホーム) 111対105 ブルズ勝ち
第5戦(ホーム) 98対108 ブルズ負け
第6戦(アウェイ) 99対98 ブルズ勝ち

スリーピート(3連覇)達成

この優勝でシカゴ・ブルズがボストンセルティックス以来となるスリーピート(3連覇)を達成します。

ブルズは1991年にはマジック・ジョンソン率いるレイカーズ、1992年にはクライド・ドレクスラー率いるブレイザーズ、そして1993年にはチャールズ・バークレー率いるフェニックス・サンズを倒しました。

3連覇した当時のシカゴ・ブルズは本当にかっこよかったです。

最高過ぎるチームでした。

ちなみに、このファイナルでマイケル・ジョーダンは平均41得点、8.5リバウンド、6.3アシストの成績を残しました。

もちろんファイナルMVPを獲得しています。

こんなにNBAファイナルで活躍した選手はあまり記憶にありませんし、やはりジョーダンがNBAの歴史の中でも特別な存在である事がわかりますね。

ちなみにピッペンは平均21.2得点、9.2リバウンド、7.7アシストでした。

りとる・あいばーそん
ジョーダンすげー、 あと他のメンバーもすげー

この1993年シーズンのファイナルは私がNBAを見てきた中でもトップ3に入るくらい面白かったファイナルです。何度も試合を見直しました。

当時の2大スター同士の対決は本当に最高でしたね!

ただ、バークレーはチャンピオンリングを取れなくて残念でした。

正直バークレーにもチャンピオンリングを獲ってもらいたかったですけどね。

りとる・あいばーそん
バークレー残念

 

突然のジョーダン引退

1993年シーズン終了後、ジョーダンが突如引退を表明します(涙)

10月6日の事でした。

バスケットボールへの情熱が失われたことと証明するものが何も無くなったという事が理由でした。私の心にもなんかぽっかりと穴が開いたのを今でも覚えています。

ジョーダンの引退と共にブルズの一時代が終了しました。

りとる・あいばーそん
ジョーダン引退・・・

悲しすぎました。

その後ジョーダンはメジャーリーグに挑戦します。

野球時代の記事はこちらから↓

「マイケル・ジョーダンが野球に挑戦した事について。」

1995-1996年シーズンのシカゴ・ブルズ 

1995-1996年シーズンのシカゴ・ブルズはリベンジに燃えていました。なぜならば1995年のカンファレンスセミファイナルで新進気鋭のチームオーランドマジックに2勝4敗で敗れたからです。

ブルズはジョーダンがシーズン途中で復帰したにもかかわらず負けてしまいました。

しかし、シカゴ・ブルズは1995-96年シーズンからマイケルジョーダンが完全復活。

ジョーダンファンは皆ジョーダンの活躍を喜びました。

またシカゴ・ブルズでジョーダンの最高のプレーが見れると思うと「本当に幸せ!」と思いました。

ただし、ジョーダンに何度もやられたパットライリーだけは歓迎しなかったでしょう(笑)

 

デニス・ロッドマンの加入

シカゴ・ブルズはホーレス・グラントがオーランド・マジックに移籍してからインサイドで活躍できる選手が不足していました。

オーランド・マジックに負けたのはグラントのような縁の下の力持ち的な選手がいなかったことが影響していました。そこで、ロッドマンに白羽の矢が立ちます。

サンアントニオ・スパーズで問題ばかり起こしていたロッドマンでしたが、リバウンドの実力はNBA史上トップクラスでした。シカゴ・ブルズはウィル・パデューとのトレードでロッドマンを獲得しました。

ブルズにとってはウィル・パデューと交換でロッドマンが手に入ったのですから本当にブルズが得をしています。

当時この移籍には本当に驚かせられました。そして、すぐに

「ジョーダンやピッペンと仲良くできんのか?」

と私は思いました。

なぜならば、ロッドマンはジョーダンとピッペンの宿敵だったからです。バッドボーイズのメンバーだったロッドマンはピストンズ時代にブルズをコテンパンに叩き潰していました。

特にピッペンとの中は最悪だったので、私はブルズが内部で崩壊してしまうのではないかと心配しました。

またそれと同時に、もしうまく機能したら「めちゃくちゃ凄いチームになる」とも思っていました。

ロッドマンはシカゴ・ブルズの入団会見の時に髪をブルズのロゴマークに染めてきました。

りとる・あいばーそん
ブルズの一員になる気満々

結果的にロッドマンはシカゴ・ブルズにすんなりと溶け込みました。

チームメイトとトラブルを起こす事もなくブルズになくてはならない存在になりました。

また、ロッドマンはブルズの戦術であるトライアングルオフェンスを誰よりも早く習得します。トライアングルオフェンスは理解するのに時間がかかる戦術として知られています。

ロッドマンは見かけによらず

りとる・あいばーそん
物凄くバスケットボールIQが高い

もちろん、このシーズンロッドマンは大活躍しました。平均14.9リバウンドをあげリバウンド王になります。シカゴ・ブルズが必要としていたインサイドの要として機能しまくりました。

リバウンドのみでこれだけインパクトを与えられる選手をいまだかつて私は見たことが在りません。

ロッドマンの加入は

悪役が見方になって活躍しまくる典型的なパターン

でした。

よく漫画とかで敵が味方になってめちゃくちゃ活躍しますよね。まさにそんな感じでした。

りとる・あいばーそん
やっぱロッドマンすげー

マイケル・ジョーダンの活躍

1996年のジョーダンは何か雰囲気が違って見えました。シャキール・オニールアンファニー・ハーダウェイなど若い力が台頭してきていましたが、まだまだ

俺の時代」

なんだぞって言うのを証明しようとしていたように見えました。

もちろん、それは1994-95年シーズンにオーランド・マジックに負けて屈辱を味わわされたからに違いありません。

この年のジョーダンは、シーズンMVP、NBAオールスター出場、得点王、オールスターMVP、ファイナルMVP、オールNBAファーストチーム、オールNBAディフェンシブファーストチームに選出という数々の賞を受賞しました。

シーズン平均得点は30.4得点、また3ポイントパーセンテージはなんと42.7パーセント、フリースローパーセンテージは83.4パーセントでした。また、レギュラーシーズンも休むことなく全試合出場しています。

りとる・あいばーそん
やっぱバスケットボールの神様は別格

スコッティ・ピッペンの活躍

ロッドマンとうまくいくかどうか非常に注目されていましたが、バスケットのコート上では本当にいい関係を築いていました。

「よかったよかった」

このシーズン、ピッペンはNBAオールスター出場、オールNBAファーストチームに選出、オールディフェンシブファーストチームに選出と大活躍します。レギュラーシーズンでは平均19.4得点、6.4リバウンド、5.9アシストを記録しました。

数字だけで見ると平均的な数字なんですが、ピッペンの活躍は数字だけでは測りきれません。実際にピッペンは試合で数字以上のインパクトを残していました。

1995-96年シーズンのブルズはディフェンスがめちゃくちゃ良い

このシーズンはジョーダン、ピッペン、ロッドマンが三人ともオールディフェンシブファーストチームに選出されました。1チームから3人も選出されることは本当に稀な事です。

りとる・あいばーそん
1チームから3人は本当に凄すぎ

また、控えにもディフェンスのスペシャリストであったランディ・ブラウンがいました。テレビで見ているだけでも本当にディフェンスが良いチームだと言う事が伝わってきました。

ブルズの名脇役たち

ブルズにはジョーダン、ピッペン、ロッドマンの他にも良い選手が沢山揃っていました。

ランディ・ブラウン、ジャド・ブシュラー、ジェームズ・エドワーズ、ロン・ハーパースティーブ・カートーニー・クーコッチ

ルーク・ロングリー、ジョン・サリー、ディッキー・シンプキンズ、ビル・ウェリントンなどがいました。彼らは自分の役割を本当に理解してプレーしていました。

地味ながらブシュラーやウェリントンは本当に良い場面で活躍していましたね。

ベンチにいるすべてのメンバーがすべて機能していました。

また、カーの3ポイントやクーコッチのプレーなどは本当にすごかったです。ジョーダンやピッペンを止めるだけでも苦労するのにさらにカーやクーコッチがいるわけですから

「弱いわけがない」

そして、このメンバーを見て何かお気付きでしょうか?

「ジェームズ・エドワーズ、ジョン・サリー、デニス・ロッドマン」

実はバッドボーイズが3人も紛れ込んでいます(笑)

りとる・あいばーそん
そりゃ強いわ

1996年NBAプレーオフ

シカゴ・ブルズの1回戦の相手はマイアミ・ヒートでした。ブルズは難なく3勝0敗で1回戦を突破します。

続くカンファレンスセミファイナルの相手は、ライバルのニューヨークニックスでした。4勝1敗でブルズがライバル対決を制します。

次はいよいよイースタンカンファレンスファイナルです。相手は昨年屈辱を味わわされたオーランド・マジックでした。このシーズンのマジックも本当に良いチームでした。レギュラーシーズンの成績は60勝22敗でした。

注目の対戦でしたがなんと

シカゴ・ブルズがオーランド・マジックを

「スウィープ」

してしまいます。第1戦から明らかにブルズの気合の入りようが違いました。

第1戦121対83、第2戦93対88、第3戦86対67、第4戦106対101でオーランドマジックを圧倒します。

第1戦のことは今でも覚えていますが、本当にブルズのメンバー全員がかなり気合が入っていました。

「昨年の借りを返してやるぜ」

というのがあからさまに伝わってきました。さすがのオーランドマジックも太刀打ち出来ませんでした。

 

1996年NBAファイナル

NBAファイナルの相手はシアトル・スーパーソニックスでした。

当時のソニックスにはショーン・ケンプゲイリー・ペイトン、デトレフ・シュレンプ、サム・パーキンス、ハーシー・ホーキンス、ネイト・マクミランなど良い選手がいっぱいいました。ヘッドコーチは名将のジョージ・カールでした。

レギュラーシーズンの記録は64勝18敗のフランチャイズレコードを記録しています。ソニックスも本当にスゴイチームでしたが、相手は

NBA史上最強

と言われるシカゴブルズでした。

第1戦107対90、第2戦は92対88でシカゴブルズがホームで2連勝します。続く第3戦はスーパーソニックスの本拠地で行われました。何とか1勝したかったソニックスでしたが、第3戦もブルズが108対86で圧勝します。

しかし、ブルズは第4戦107対86、第5戦89対78とソニックスに2連敗してしまいます。あと1勝でNBAチャンピオンになれるシカゴ・ブルズはホームでの第6戦を87対75で勝利します。

この瞬間最強ブルズが誕生しました。

レギュラーシーズン72勝を達成し、NBAチャンピオンに輝いたシカゴ・ブルズは本当に当時話題になりました。また、当時だけ出なく今でも伝説として語り継がれています。

今後も1995-1996年シーズンのシカゴ・ブルズを超えるチームはなかなか現れないでしょう。

私はいまでも

1995-1996年シーズンのシカゴ・ブルズがNBA史上最強のチーム!!

と思っています。

 

NBAレギュラーシーズン最多勝利

1995-96年シーズンのシカゴ・ブルズは当時のレギュラーシーズン最高記録である

72勝10敗

という大記録を打ち立てました。当時は本当に騒がれましたね。また、この記録は絶対に今後破られないだろうと言われていました。

(2015-2016年シーズンにウォリアーズがやぶっちゃいましたが・・・)

ただ、ウォリアーズは73勝しましたけど、そのシーズンNBAチャンピオンになることは出来ませんでした。

なので

ブルズの72勝>ウォリアーズの73勝

と私自身は勝手に思っています。いくらシーズン記録を作っても優勝できなければ意味がないですからね。その点シカゴ・ブルズは72勝した上でさらに優勝しています。

なので

「1995-1996シーズンのシカゴブルズが最強!!」

なんです。

 

1996-1997年のシカゴ・ブルズ

前年度のシカゴ・ブルズはNBA史上最高のレギュラーシーズン72勝10敗(当時)と言うとてつもない記録を成し遂げました。

全盛期のシカゴ・ブルズはそれこそ「無敵」でした。

正直ブルズを倒せそうなチームは1996-1997年シーズンもいませんでした。

この頃のシカゴ・ブルズはジョーダン、ピッペン、ロッドマンの「BIG3」が全盛期でしたね。私は、この3人は

NBA史上最強のビッグ3

だと思っています。

当時のこの3人の人気は物凄くて、バッシュやTシャツ、グッズなどは本当に売れていました。

バスケの実力も見た目も物凄くかっこよかったです。

りとる・あいばーそん
この3人は本当に最高!!

もちろん、この3人がいたシカゴ・ブルズは日本でも物凄く人気があったし知名度も抜群でした。

バスケットボールをしていない人の間でも知名度は高かったです。1996-1997シーズンのシカゴ・ブルズも本当に凄いチームだったのは間違いありません。

このシーズンのメンバーはジョーダン、ピッペン、ランディ・ブラウン、ブシュラー、キャフィー、ロン・ハーパー

スティーブ・カー、クーコッチ、ロングリー、パリッシュ、シンプキンズ、マット・スタイゲンガ、ウェリントン、ブライアン・ウィリアムズがいました。

りとる・あいばーそん
マット・スタイゲンガ懐かしすぎ

控えメンバーの入れ替えが若干ありましたが、主力メンバーはほとんど変わっていません。ジョン・サリー、ジェームズ・エドワーズ、ジャック・ヘイリーがいなくなった代わりにロバート・パリッシュとブライアン・ウィリアムズが加入しました。

特にシーズン終盤に加入したブライアン・ウィリアムズの存在はかなり大きかったです。インサイドが不足気味だったブルズに厚みをもたせました。

そして、セルティックスのレジェンド

「ロバート・パリッシュ」の加入はベンチに経験を加える事に成功しました。

ロバート・パリッシュのニックネームは

「酋長」

でした。試合にはあまり出ませんでしたが、ベンチにパリッシュがいる事によってなんか安心感がありました。

「さすが元セルティックスのレジェンド!!」

っていう感じでした。

1996-97年のレギュラーシーズン

このシーズンも絶好調だったシカゴ・ブルズはレギュラーシーズンを69勝13敗で終えます。勝率は8割4部1厘でした。

また、前年まで勢いのあったオーランド・マジックはシャキール・オニールがレイカーズへ移籍したことによりチーム力が落ちていました。

このシーズンも他にライバルとなるチームは見当たりませんでしたね。

実質イースタンカンファレンスはシカゴ・ブルズ1強でした。

ブルズファンの私は本当に安心して試合を見れました。

1996-97年シーズンのプレーオフ

1回戦の相手はファブ5の2人(クリス・ウェバーとジュワン・ハワード)がいたワシントン・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)でした。もちろんブルズが3勝0敗で圧勝しました。

続くカンファレンスセミファイナルの相手はアトランタ・ホークスでした。4勝1敗でブルズが勝利しカンファレンスファイナルへ駒を進めます。イースタンカンファレンスファイナルの相手はアロンゾ・モーニングティム・ハーダウェイがいたマイアミ・ヒートでした。

当時のヒートは本当に良いチームでしたが、シカゴブルズにはまったく歯が立ちませんでした。4勝1敗でブルズが2年連続NBAファイナルに進出しました。

ブルズがNBAファイナルに進むのは正直、疑いようがありませんでした。

りとる・あいばーそん
やっぱりブルズ最強!!

1997年NBAファイナル

第1戦はシカゴ・ブルズのホームのユナイテッドセンターで行われました。84対82でブルズが勝利します。試合の行方は最後の最後まで分かりませんでしたが、最後にジョーダンが放ったシュートは見事ゴールに吸い込まれました。

このシーンは今でも本当によく覚えています。シュートを決めた後ジョーダンがガッツポーズをしたんですが、このガッツポーズが

りとる・あいばーそん
本当にかっこよすぎ

私が今まで見たガッツポーズの中で一番かっこいいです↓

第2戦も97対85でブルズが勝ちます。

続く第3戦はユタ・ジャズのホームであるデルタセンターで行われました。ブルズは93対104で敗れてしまいます。2勝1敗で第4戦を迎えましたが、第4戦もジャズが勝ちシリーズは2勝2敗のタイになりました。

当時の私は「ブルズが負けるわけないやん」と思ってはいましたが、本当にひやひやしていました。

次の第5戦は勝利したほうがNBAファイナル優勝に大手をかける非常に大事な試合でした。

デルタセンターで行われた試合はNBAファイナルの中でも記憶に残る試合になりました。なぜかというとマイケル・ジョーダンが体調不良だったからです。

医者からは試合には出ないほうが良いと診断が下されていました。しかし、この試合の重要さはジョーダン本人が一番よく分かっていました。ジョーダン抜きで倒せるほどジャズは弱いチームではありません。

もしここで試合を落とせば一気に不利な状況になるのは明らかでした。試合前、当時の解説の方が「ジョーダンがインフルエンザにかかっている」と言っていたのを聞いたときは本当に心配でした。

普通の人間ならば立っているのもつらいなかジョーダンは試合に強行出場します。本当にスゴイ精神力でした。そしてジョーダンはこの試合で伝説を残します。

ジョーダンは44分間プレーし、38得点、7リバウンド、5アシスト、3スティールを記録しました。この時のジョーダンは本当に

「神ってました」

試合はジョーダンの大活躍により90対88でシカゴ・ブルズが勝ちました。

優勝まであと1勝のシカゴ・ブルズは本拠地のユナイテッドセンターに戻ります。

ブルズのホームで行われた第6戦も試合終盤までどちらが勝つかまったく分かりませんでした。そして、NBAファイナルでも名場面に上げられる伝説のシュートが生まれます。

この伝説のシュートを決めたのはジョーダンではなくスティーブ・カーでした。ジョーダンからのパスを受け取ったカーは何事も無かったかのようにシュートを決めました。

 

「うぉーーー、決めた!!」

と思わず叫んでしまいました。

あのジョーダンがパスをするくらいですから、よっぽどカーのシュート力を認めている証拠です。と同時にもしカーが外していたらジョーダンは批判を浴びていたかもしれません。しかし、私はあのシュートは決まるべくして決まったのだと今でも思っています。

相手がカーでなければジョーダンもパスは選択しなかったと思います。

あの緊迫した場面でいつもどおりのシュートを打つことが出来るカーが凄すぎです。

なのでこの試合の影のMVPは

「スティーブ・カー」

です。

シカゴ・ブルズは残り5秒で88対で86リードしました。

シカゴ・ブルズがリードしていましたが、ジャズにもまだ逆転のチャンスがありました。しかし、ジャズのスローインをピッペンがスティールします。最後はクーコッチがとどめのダンクを決めました。この瞬間ブルズが2回目の2連覇を達成しました。

大のブルズファンだった私は

「最高っに嬉しかった!!

この時のブルズは本当に強かったですし、すべてが完璧でした。

 

1997-1998年シーズンのシカゴ・ブルズ

1996年と1997年に2連覇を達成したシカゴ・ブルズでしたが、このシーズンもシカゴ・ブルズ王朝は無敵でした。

リーグを見渡してもブルズと対等に戦えるチームはほとんどありませんでした。強いて言えば昨年のNBAファイナルで対戦したユタ・ジャズ位でした。

ブルズは主力メンバーの変更がなかったので、良い状態でこのシーズンを迎えることができました。

ただ、名将フィル・ジャクソンがこのシーズン限りでブルズのヘッドコーチを退任すると言う噂がありました。

マイケル・ジョーダンはフィル・ジャクソン監督以外の監督の元ではプレーしないと明言していましたね。フィル・ジャクソンがこのシーズンでブルズを退団することが濃厚だったため、このシーズンは「ラストダンス」と称されていました。

1997-1998年シーズン、シカゴ・ブルズの新加入選手

主力は昨シーズンとほぼ変わりなかったんですが、このシーズンはスコット・バレルが加入しました。バレルの加入はブルズにとって良い補強でした。ジョーダン、ピッペン、ハーパー、クーコッチなどの次の得点源として活躍しました。

また、ドラフト1順目28位で指名したメリーランド大学出身の新人キース・ブース、ジョー・クライン、ラスティ・ラルーなどが新戦力として加わります。

35歳のマイケル・ジョーダン

このシーズンのジョーダンは82試合すべてに出場しました。シーズン平均は28.7得点、5.8リバウンド、3.5アシストでした。そしてこのシーズンも得点王に輝きました。

この時ジョーダンは35歳でしたが、まったく衰えは見せていませんでした。多くの選手がキャリア晩年に活躍出来なくなっていくなか、ジョーダンは最高のパフォーマンスを見せていました。やっぱり

「神ってます」

スコッティ・ピッペンの怪我

このシーズンのスコッティ・ピッペンは背中の怪我でレギュラーシーズンの出場は44試合のみでした。シーズン前半戦はピッペンが欠場することが多かった為、ジョーダンに負担がかかっていた状態でした。

本当にピッペンの怪我が心配でしたが、シーズン後半には無事に戻ってきます。私は

「ホッとしました」

この時ピッペンは33歳にもかかわらずジョーダンと同じくまったく衰えていませんでした。

デニス・ロッドマンの活躍

このシーズンのロッドマンは相変わらずリバウンドをとりまくっていましたね。シーズン平均15リバウンドを挙げました。ロッドマンは1991年から1998年まで7年連続でリバウンド王に輝いています。

ロッドマンのリバウンドは本当に

「すごかった!」

そして、相変わらず髪の毛はカラフルでしたし、ディフェンスがめちゃくちゃよかったですね。ロッドマンはこの時既に37歳でしたが、ジョーダンやピッペンと同じでまったく衰えていませんでした。むしろ「めっちゃ元気」でした。

やっぱロッドマンは

「只者じゃない」

1997-98年のレギュラーシーズン

シーズン序盤はピッペンの怪我で苦戦を強いられますが、ピッペンが怪我から戻るとブルズは絶好調になります。結果62勝20敗でレギュラーシーズンを終えました。

1998年のプレーオフ

プレーオフファーストラウンドはニュージャージーネッツと対戦します。もちろん3勝0敗でシカゴブルズが勝ちました。続くカンファレンスセミファイナルの相手はシャーロット・ホーネッツでした。4勝1敗でブルズが圧勝します。

いよいよ次はカンファレンスファイナルです。カンファレンスファイナルの相手はインディアナペイサーズでした。私はブルズが余裕で勝つかと思いましたが、なんと第7戦までもつれます。

↓第4戦のこのシュートは本当に悔しかった!!

 

「ペイサーズ手強すぎ!!」

正直ペイサーズはかなり良いチームでした。マーク・ジャクソン、クリス・マリンレジー・ミラー、デイビスブラザーズ、リック・スミッツ、サム・パーキンスなど良い選手が揃っていました。そして、彼等を指揮していたのはあの

「ラリー・バード」

でした。選手の時もかっこよかったバードですが、監督としてのバードも

本当にかっこよかった。

緊張の中行われた第7戦はシカゴ・ブルズが勝利し、3年連続NBAファイナルへ駒を進めました。

1998年NBAファイナル

NBAファイナルの相手は昨年と同じ相手ユタジャズでした。打倒シカゴ・ブルズに燃えるユタ・ジャズは昨年と違いホームコートアドバンテージを持っていました。ユタジャズのホームで行われた第1戦ブルズは85対88で敗れてしまいます。オーバータイムまでもつれる大激戦でした。

第2戦は93対33でブルズが勝利します。その後、第3戦(96対54)第4戦(86対82)とブルズが連勝しNBAチャンピオンに王手をかけました。しかし第5戦ブルズは81対83で敗れてしまいます。

3勝2敗で迎えた第6戦は

ジョーダンの伝説のシュート

「ラストショット」

がとびだします。

この時もやっぱりジョーダンは

神ってました。

このシュートは本当に凄かったし、今でも鮮明に覚えています。残り数秒ジョーダンのシュートで逆転したシカゴブルズは87対86で勝利します。この瞬間ブルズは2度目の3連覇を達成しました。

↓今見てもスゴイ

 

そして、ラストショットを決めたジョーダンがファイナルMVPを獲得します。

当時のシカゴ・ブルズは「本当に最高のチーム」でした。

しかし、それと同時に私は思いました

「これでシカゴ・ブルズを見れるのは最後なんだ・・・」

その年のオフシーズン

その年のシーズンオフにやはりフィル・ジャクソンはシカゴブルズの監督を退任しました。フィル・ジャクソンが辞めるならば引退すると言っていたジョーダンも2度目の引退をします。

また、ピッペンはロケッツにトレードで移籍し、ロッドマンはロサンゼルスレイカーズと契約します。ルーク・ロングリーはサンズへ移籍、スティーブ・カーはスパーズと契約しました。シカゴ・ブルズ王朝はこの年の優勝を最後に解体されました。

ジョーダンはまだまだ全盛期でしたし、本当はもっと彼のプレーを見たかったと言うのが正直な思いでしたがそれは叶いませんでした。

普通のチームが敗れ去って消えていく中、当時のシカゴ・ブルズは3連覇と言う最高の形で最後を締めくくりました。

りとる・あいばーそん
完璧な終わり方

当時のブルズは控えめに言っても物凄く強いチームでしたね。1997-1998年のブルズは歴史に残る素晴らしいチームであったのは間違いありません。

最後に

2度の三連覇は本当に凄かった。どのシーズンもブルズは最高のプレーを見せてくれました。

りとる・あいばーそん
シカゴ・ブルズ王朝最高!

それではまた。

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りとるあいばーそん

出身地:日本、 NBAファン歴:30年、 好きなチーム:シカゴ・ブルズ、 好きな選手:ジョーダン、アイバーソン、 好きなプレー:ノールックパス、クロスオーバー、 趣味:スポーツ観戦、ツイッターフォローしてくれると喜びます。

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