
プロフィール
誕生日:1973年3月23日
出身国:アメリカ
出身地:カリフォルニア州サンフランシスコ
ポジション:ポイントガード
ドラフト順位:1994年1順目2位
ドラフトチーム:ダラス・マーべリックス
出身校:カリフォルニア大学
身長:193cm 体重:95kg
NBAデビュー:1994年11月5日
目次
ジェイソン・キッド
ジェイソン・キッドはトリプルダブルを量産した名ポイントガードです。
アシスト、リバウンド、得点、ディフェンスと何でもこなせる長身ポイントガードでした。中でもアシスト能力は歴代NBA選手の中でもトップクラスでした。
そしてなんといっても彼のアシストには華がありましたね。ルーキーイヤーに出した物凄いパスは今でも忘れません。
それと彼はバスケットボールIQが高くて、ポイントガードのお手本になるような選手でした。
ジェイソン・キッドはNBA史上に残る素晴らしいポイントガードだと私は思います。

1994年NBAドラフト
キッドは1994年のNBAドラフトにおいて全体2位指名でダラス・マーベリックスに入団しました。
ちなみにこの年のドラフトでは、1位指名でパデュー大学のスターだったグレン・ビッグドッグ・ロビンソン、2位指名でキッド、3位指名がデューク大学のスーパースター、グラント・ヒルでした。
当時のグラント・ヒルの人気たるやかなりのものでしたので、そのグラント・ヒルよりも先に指名されるなんて本当に凄いと思います。

キッド入団当時のマーベリックスはドアマットチーム
優秀な若手が揃ってはいましたが当時のマーベリックスはドアマットチームで、NBAのなかでも最弱と言っていいほど弱かったです。
1990ー1991年シーズンは28勝54敗、1991ー1992年シーズンは22勝60敗、1992ー1993年シーズンは11勝71敗、1993ー1994年は13勝69敗と散々たるものでした。
当時のマーベリックスはめちゃくちゃ弱かったので、マーベリックスのユニフォームを見ると物凄くかっこ悪く見えましたね(笑)
3J's
1994年当時のマーベリックスにはジム・ジャクソン(1992年1順目4位指名)、ジャマール・マッシュバーン(1993年1順目4位指名)そして、ジェイソン・キッドの3人がいました。
この三人はそれぞれ名前に「J」がついていた事から「3J’s」と呼ばれました。
有能な若手選手で結成された3J’sはNBAに大旋風を巻き起こします。
この3人は本当にかっこよかった。
3J'sがいたのでマーベリックスの将来は明るいものになるはずでした。
しかし、これだけのタレントが揃うと、個性が強すぎてうまくいかないことがしばしばあります。例に漏れず3J’sも長続きはしませんでした。
原因はキッドとジム・ジャクソンの不仲が原因です。
本当にもったいなかったですね。
女性関係でもめたとかもめなかったとか・・・
フェニックス・サンズへトレード
多くのタレントを揃えたにもかかわらずマーベリックスはドアマットチームから抜け出す事はできませんでした。
その結果、キッドは1996年にフェニックス・サンズへトレードされます。マーベリックスからはキッドと一緒にトニー・デュマスとローレン・メイヤーが放出されました。
マーベリックスにはマイケル・フィンリーとACグリーン、サム・キャセールが移籍しています。
正直このトレードにはびっくりしました。
あのキッドが移籍!?
ってなかんじでしたね。今でも思い出します。
フェニックス・サンズ時代
サンズにはスターポイントガードのケビン・ジョンソンがいました。
なのでキッドがサンズでどういう風に活躍するのかは移籍するまで分かりませんでしたね。
結果的にはキッドとケビン・ジョンソンのコンビは意外と合いました。
キッドとKJが一緒のチームなんて贅沢すぎっすね。
さらに当時のサンズにはレックス・チャップマン、アントニオ・マクダイズ、スティーブ・ナッシュまでいましたので、本当にいいメンバーが揃っていました。
今流行のスリーポイント主体のバスケットボールをやったら物凄く面白そうなメンバーです。
キッド、KJ、ナッシュが一緒のチームなんて冷静に考えたらやばすぎですね。
バックコート2000
KJ引退後、1999年にアンファニー・ハーダウェイがサンズに移籍して来ました。キッドとハーダウェイのコンビは「バックコート2000」と呼ばれました。
初めてキッドとアンファニー・ハーダウェイが一緒のチームでプレーすると知った時は本当にびっくりしました。
このコンビはインパクト大でしたね。
二人とも本当にかっこよかった!
ニュージャージー・ネッツにトレード
キッドは2001年にステフォン・マーブーリーその他との交換でニュージャージー・ネッツに移籍させられます。
マーブリーも相当いい選手だったので当時のスターポイントガード同士のトレードは本当にびっくりでした。
キッドもマーブリーも本当に好きだったなぁ。

ニュージャージー・ネッツ時代
ネッツに移籍後キッドはネッツを強豪チームにしました。
2001-2002年シーズンにはネッツを52勝30敗の好成績に導きます。
MVPの投票ではティム・ダンカンに次ぐ2位の投票数を獲得しました。
この時がキッドの全盛期でしたね。
マジでネッツ時代のキッドはめちゃくちゃ凄かったです。
NBAファイナル進出
キッドに導かれたニュージャージー・ネッツは2002年、2003年にNBAファイナルに進出。惜しくも敗れはしましたが、誰もネッツが2年連続でNBAファイナルまで行くとは思ってなかったと思います。
ネッツが2年連続NBAファイナルに行けたのは、キッドの力によるところが大きかったっですね。
ケニョン・マーティンやリチャード・ジェファーソンとのプレーは本当に見ごたえがありました。
特にキッドとマーティンのコンビは息がぴったりでした。
古巣マーベリックスでNBAチャンピオンに
キッドは2008年に古巣マーベリックスと契約します。
このままチャンピオンリングを取れずに引退すると思われましたが、2011年にはダーク・ノビツキー、タイソン・チャンドラー、ジェイソン・テリーなどと一緒にマーベリックスをNBAチャンピオンに導きます。
対戦相手はあのレブロン・ジェームズ率いるマイアミ・ヒートでした。
誰もがレブロン、ウェイド、クリス・ボッシュのスリーキングスを擁するヒートが圧勝すると思っていました。
しかしキッドの大活躍により、あの強かったマイアミヒートを倒してしまいます。
この頃のキッドは身体能力が衰えてきていましたが、その分バスケットボールIQはめちゃくちゃ高かった!
ある意味ポイントガードを極めてましたね。
キッドがいなければもちろんマーベリックスは優勝出来てなかったです。
私はこの時、マーベリックスを応援していましたのでヒートを倒した時は思わずガッツポーズしてしまいました。
あとキッドは長年チャンピオンリングに手が届いてなかったので、キッドがNBAチャンピオンになってくれて本当に嬉しかったです。
キッドの主な成績
キッドは現役時に5度のアシスト王(1990、2000、2001、2003、2004)を獲得しました。
また、オールNBAファーストチームに5回(1999、2000、2001、2002、2004)、オールディフェンシブ1stチームに4回(1999、2001、2002、2006)選出されています。
NBAオールスターには10回出場。
2000年にはシドニーオリンピックで金メダル、2008年にも北京オリンピックで金メダルを獲得しています。
引退後はヘッドコーチに
キッドは2012-2013年シーズンにニューヨークニックスでプレーした後に引退しました。
引退後は高いバスケットボールIQを生かしブルックリン・ネッツのヘッドコーチに就任します。
普通はアシスタントコーチなどを経験してヘッドコーチになるんですが、キッドは別格でしたね。
引退後すぐにヘッドコーチに就任しました。こんなの多分キッドじゃないと無理でしょう。
ただネッツのヘッドコーチは1シーズンのみで、2014-2018年まではミルウォーキー・バックスで指揮をとりました。
ヤニス・アデトクンポをポイントガードで起用してみたりとキッドらしい采配を振るったのが印象的でしたね。
ミスター・トリプルダブル
最後に、キッドと言えばやっぱりトリプルダブルです。
トリプルダブル通算107回はNBA歴代4位(2019年2月現在)
キッドより上にはラッセル・ウエストブルック、マジック・ジョンソン(138回)、オスカー・ロバートソン(181回)の3人しかいません。
そうそうたるメンバーですね。

それと、2007年4月7日には当時ネッツのチームメイトだったビンス・カーターと同じ試合で2人同時にトリプルダブルを達成しています。
相手はワシントン・ウィザーズでした。
ちなみにキッドが10得点、16リバウンド、18アシスト。カーターが46得点、16リバウンド、10アシストを記録しています。
私は「トリプルダブル」と言う言葉を聞くと必ずキッドが思い浮かびます。それ位キッドはトリプルダブルをいっぱい達成しました。
まとめ
キッドは本当に凄いポイントガードでした。
私の中ではマジック・ジョンソンの後継者的な存在でしたね。
NBA史上でもトップクラスのポイントガードであるキッドのプレーをリアルタイムで見れて本当によかったです。
あとサンズ時代にいきなり金髪にしたのが印象にのこってますw
それではまた。