
プロフィール
誕生日:1972年10月5日
出身国:アメリカ
出身地:テキサス州ダラス
ポジション:スモールフォワード
ドラフト順位:1994年1順目3位
ドラフトチーム:デトロイト・ピストンズ
出身校:デューク大学
身長:203cm 体重:102kg
目次
グラント・ヒル
グラント・ヒルはNBAでもトップクラスのオールラウンダーでした。
ダンク、パス、シュート何でも出来ましたね。
本当にかっこよかったです!
特にピストンズ時代のヒルは本当にすごかったですよ。
ネクストジョーダン
当時のグラント・ヒルはネクストジョーダンと呼ばれ将来を期待されていました。
※ネクストジョーダンと言う呼び方は特定の選手に対する呼び方ではなく、次の世代のNBAを背負う選手(ジョーダンの代わりになる選手)と言う意味で使われていた。
最近はもうネクストジョーダンと言う言葉も聞かなくなりましたが、当時のグラント・ヒルはネクストジョーダンの筆頭候補だったのは間違いありません。
一部のNBAファンはグラント・ヒルとジョーダンを重ね合わせて見ていましたし、私もその一人でした。それだけ期待の高かった選手でした。

デューク大学時代
ヒルは大学時代から有名な選手で1991年と1992年にNCAAトーナメントで2連覇しています。
この時のデューク大学は名将マイク・シャセフスキー(コーチK)が監督をしており、デューク大学は全米きっての強豪校でした。
ヒルのチームメイトにはあの名ポイントガードだった、ボビー・ハーリーやクリスチャン・レイトナーがいました。
グラント・ヒルとレイトナー、ハーリーは物凄く有名で将来を期待されていましたね。

背番号33番はデューク大学の永久欠番になっています。
1994年NBAドラフト
ヒルは1994年1順目3位でデトロイトピストンズに指名されました。
私はこの年のドラフトの事は本当によく覚えてます。
なぜならば私はヒルが1位指名されると予想していたからです。
結局私の予想は外れましたが、ドラフト前のドキドキ感は今でも忘れません。
ちなみに1位がグレン・ロビンソン(ミルウォーキー・バックス)、2位がジェイソン・キッド(ダラス・マーベリックス)、3位がグラント・ヒル(デトロイト・ピストンズ)でした。

FILAと契約
ナイキやリーボック、コンバースなどと契約する選手が多い中、ヒルはFILAと契約しました。
FILAのウェアを身に着けたヒルは本当にかっこよかった!
当時発売されていたグラントヒルモデルのバッシュは物凄く人気でしたよ。ファッション雑誌にも掲載されていましたね。
復刻版が発売されました↓
ルーキーオブザイヤーを獲得
ルーキーイヤーから大活躍したヒルはルーキーオブザイヤー(新人王)を獲得(ジェイソン・キッドとのダブル受賞)
ちなみにこの年のヒルのスタッツ
70試合に出場し平均19.9得点、6.4リバウンド、5アシスト、1.8スティールでした。
ルーキーイヤーから平均19.9得点は本当にすごい!
ルーキーながらファン投票1位でオールスターに出場
ヒルは1995年にはルーキーとしてはじめてファン投票1位でオールスターへ出場しました。
ちなみに投票数は1,289,585票でした。
そして、彼はなんと翌1996年のオールスターのファン投票でも1位を獲得しています。
とにかくですね当時のヒル人気はですね、もの凄かったです。
1996年のオールスターではあの神様マイケル・ジョーダンの得票数を超えました。
ジョーダン1,341,422票 、ヒル1,358,004票
やばくないっすか?ルーキーでファン投票1位って、しかも2年連続って。しかもジョーダン超え。
ちなみに当時のスタメンはこちらです↓
1995年のイースタンカンファレンスオールスターのスタメン
Gアンファニー・ハーダウェイ、Gレジー・ミラー、Fスコッティ・ピッペン、Fグラント・ヒル、Cシャキール・オニール
1996年のイースタンカンファレンスオールスターのスタメン
Gアンファニー・ハーダウェイ、Gマイケル・ジョーダン、Fグラント・ヒル、Fスコッティ・ピッペン、Cシャキール・オニール

ピストンズのエースに
ヒルは入団後すぐにピストンズで結果を残しました。
リバウンド、パス、シュートすべてをこなせるスーパースターとしてピストンズのエースになります。
ピストンズ時代のスタッツ↓
平均得点 | アシスト | リバウンド | |
1994-95 | 19.9 | 5.0 | 6.4 |
1995-96 | 20.2 | 6.9 | 9.8 |
1996-97 | 21.4 | 7.3 | 9.0 |
1997-98 | 21.1 | 6.8 | 7.7 |
1998-99 | 21.1 | 6.0 | 7.1 |
1999-00 | 25.8 | 5.2 | 6.6 |
さすがNBA屈指のオールラウンダーです!
ドリームチームⅢ
1996年にはドリームチームⅢのメンバーとしてアトランタオリンピックで金メダルを獲得しています。
当時ヒル23歳。ちなみにヒルはこのチームで最年少でした。
この大会でヒルは平均9.7得点を記録しています。
オーランド・マジックに移籍
ピストンズでは優勝できないと悟ったグラント・ヒルは2000年にオーランド・マジックへ移籍します。
トレード相手はチャッキー・アトキンスとベン・ウォレスでした。
怪我
ヒルはマジック移籍後、トレーシー・マグレディとともに優勝をめざしますが、移籍後すぐに足を骨折してしまいます。マジック移籍1年目は4試合しか出場する事が出来ませんでした。
この怪我はキャリアに影響を与えるほど深刻で、この怪我以降ヒルはスーパースターだった頃のようなプレーは出来なくなりました。本当に残念でした。
ちなみにマジック時代はこんな噂もありました↓
これが実現してたらとんでもなかったでしょうねw
マジック時代のスタッツ
平均得点 | アシスト | リバウンド | |
2000-01 | 13.8 | 6.3 | 6.3 |
2001-02 | 16.8 | 4.6 | 8.9 |
2002-03 | 14.5 | 4.2 | 7.1 |
2004-05 | 19.7 | 3.3 | 4.7 |
2005-06 | 15.1 | 2.3 | 3.8 |
2006-07 | 14.4 | 2.1 | 3.6 |
2004年シーズンは復活の兆しが見えましたが、その後はまた少しずつ落ちていきました。
普通に平均2桁得点してるけど、やはりピストンズ時代のヒルと比べると物足りなかったです。
怪我さえなければもっと凄い選手になっていたのは間違いありませんけどね。
残念です
サンズ~引退まで
ヒルは2007年にはフェニックスサンズへ、さらに2012年にはロサンゼルス・クリッパーズへ移籍。そして、2013年に引退しました。
ヒルの現役時代のプレーはこちらから↓
父親がNFLのスーパースター
グラント・ヒルの父親カルビン・ヒルはNFLダラスカウボーイズのスターランニングバックだったのは有名な話です。
ダラス・カウボーイズ、ワシントン・レッドスキンズ、クリーブランド・ブラウンズなどでプレーしました。
ちなみに1969年に息子と同じく新人王を獲得しています。

ヒルの主な実績
1995-1998年、2000-2001年、2005年にオールスターに出場。
オールNBAファーストチーム(1997)
オールNBAセカンドチーム(1996、1998-2000)
1995オールルーキーファーストチーム
NBAスポーツマンシップアワード(2005、2008、2010)
2018年殿堂入り。
まとめ
ヒルはスーパースターにもかかわらず、紳士な振る舞いをしていたので本当に人気がありました。 私もヒルのことが大好きでしたね。 90年代のNBAを盛り上げてくれたヒルには本当に感謝です!
それではまた。