
プロフィール
誕生日:1970年9月8日
出身国:アメリカ
出身地:ウィスコンシン州ミルウォーキー
ポジション:シューティングガード/スモールフォワード
ドラフト順位:1992年1順目24位
ドラフトチーム:ゴールデンステート・ウォリアーズ
出身校:アラバマ大学
身長:196cm 体重:88kg
目次
ラトレル・スプリーウェルは身体能力が高かった。
ラトレル・スプリーウェルは身体能力の高い選手として有名でした。
ドラフト順位は1順目24位と低かったですが、持ち前の身体能力と体力でチャンスを掴み取ります。
当時のウォリーアーズにはティム・ハーダウェイ、クリス・マリン、クリス・ウェバーなどかなりいいメンバーが揃っていました。
そんな凄いメンバーの中でスプリーは次第に目立つようになります。やがてスプリーはウォーリアーズになくてはならない存在になりました。
ウォリアーズからすれば、ドラフト下位指名でこんなに凄い選手が取れてラッキーとしか言いようがありません。
スプリーの活躍
スプリーウェルは1994年にオールNBAファーストチームに選出されました。
1994年、1995年、1997年、2001年(ニックス)にはNBAオールスターに出場しています。
スプリーのプレー、髪型
高い身体能力から繰り出されるダンクシュートやアリウープは、非常にかっこよくて迫力がありました。
あと、スプリーはスキンヘッドが超かっこよかったです!
コーンロウが特徴的
スプリーは始めはスキンヘッドだったんですが、その後スキンヘッドからコーンロウに髪形を変えます。
スプリーのコーンロウは襟足が長くて印象的な髪型でした。この頃は流行でコーンロウにしている選手が多かったですが、スプリーのコーンロウは特徴的でしたね。
本当にかっこよかったと思います。
スプリーはプレーもそうですが、髪型も印象に残る選手でした。
首絞め事件
スプリーはプレーヤーとしては超一流ですが、1997年12月1日とある事件を起こしました。
世に言う「首絞め事件」です。
当時監督だったPJカーリシモと練習中口論になりスプリーウェルはカーリシモの首をしめてしまいます。
スポーツ選手として、また一人の人間としてやってはいけない行為です。
NBAはスプリーウェルに無期限の出場停止という重い処分を言い渡しました。この事件は本当に大々的に報じられていました。
ミラクル・ニックスで活躍
その後、何とかNBAに復帰できたスプリーですが、1999年にウォリアーズからニューヨーク・ニックスにトレードされました。
スプリーの加入したニックスは第8シードながらプレーオフ1回戦で第1シードのマイアミ・ヒートを倒します。
第1シードのチームを第8シードのチームが破るのはNBA史上2チーム目でした。
その後、ニックスは第8シードのチームとして始めてNBAファイナルまで勝ち進みます。
惜しくもティム・ダンカンやデビッド・ロビンソン率いるサンアントニオ・スパーズに敗れましたが、当時のニックスは「ミラクルニックス」と呼ばれ話題になりました↓
スプリーウェルはこのミラクルニックスで大活躍した事によりNBA完全復帰を果たします。
この頃になると首絞め事件も一段落していてあまり話題に上がらなくなりました。
ウルブスへトレード
スプリーウェルは2003年にニックスからミネソタ・ティンバーウルブスにトレードされました。しかし、ウルブスでは全盛期ほど印象的なプレーはありませんでした。
※あくまでも全盛期ほど活躍できてなかっただけで、そこそこ活躍してました
その後、スプリーは2006年に引退しています。
あと、スプリーウェル(Sprewell)と言う苗字が非常に珍しく、始めはなんと発音していいのか分からなかったのは有名な話。
スプリーウェルのその後
その後2↓