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サンアントニオスパーズの名センター、提督デビッド・ロビンソン

投稿日:2018年6月3日 更新日:

りとる・あいばーそん
今回は提督ことデビッド・ロビンソンを紹介するっす!

プロフィール

誕生日:1965年8月6日

出身国:アメリカ

出身地:フロリダ州キー・ウェスト

ポジション:センター

ドラフト順位:1987年1順目1位

ドラフトチーム:サンアントニオ・スパーズ

出身校:海軍兵学校

身長:216cm 体重:113kg

1990年代のNBAを代表するセンタープレイヤー

デビッド・ロビンソンは1990年代を代表するセンタープレーヤーです。

ニックネームは「提督」です。彼がアメリカ海軍の士官として軍役についていたことから名付けられました。

「かっこいいあだ名です」

サンアントニオ・スパーズ一筋で1989年から2003年までプレーしました。ロビンソンのインサイドでの存在感は本当に凄かったです。1990年代のインサイドの選手なので今の選手のようにスリーポイントシュートはあまりうまくありません。

「NBAも変わったもんだ」

ただインサイドの支配力は本当に凄く、強烈なダンクシュートやブロックショットは当時のNBAでトップクラスでした。いや当時だけでなく今のNBAでもトップクラスです。

「ロビンソンかっこよかったんだよなー」

左利きで筋肉隆々でした。

海軍士官学校時代

ロビンソンは海軍士官学校時代には数学を専攻しています。ちなみに彼の父親も海軍で働いていました。

当時は誰もロビンソンがNBAでプレーするとは思っていませんでした。しかし、身長206cmだったのが卒業する頃には213cmになっていました。

海軍士官学校時代に頭角を現したロビンソンはその後有名な選手になります。

1986-1987年シーズンにロビンソンはネイスミス賞とウッデン賞をダブル受賞しました。また1987年にはオールアメリカンのファーストチームに選出されています。

「めっちゃすごい!!」

1987年NBAドラフト

ロビンソンは1987年にドラフト1順目1位でサンアントニオスパーズに指名されます。しかし、当時海軍での役割があったため実際には2年後のシーズンからプレーしました。

サンアントニオスパーズ時代

1989-1990年シーズンからNBAでプレーし始めたロビンソンはルーキーイヤーから大活躍します。平均24.3得点、12リバウンドの成績を残しました。

この年ロビンソンはルーキーオブザイヤーに輝きました。

その後1991年にはリバウンド王、1992年にはブロック王、1994年には得点王に輝きました。翌1995年にはMVPに輝いています。

「ルーキーイヤーからすごい活躍!!」

またNBAオールスターには10回(1990-1996、1998、2000、2001)出場。オールNBAファーストチームには4回(1991、1992、1995、1996)、オールNBAディフェンシブファーストチームにも(1991、1992、1995、1996)に選ばれました。

とにかく当時のロビンソンはNBAを代表するセンタープレーヤーだったのは間違いなかったですし、まさにスパーズのフランチャイズプレーヤーでした。

「本当にすごい選手です」

ドリームチーム1のメンバー

1992年にはドリームチームに選出され、バルセロナオリンピックで金メダルに輝いています。ドリームチームでは当時ニックスでプレーしていたパトリック・ユーイングと一緒のチームになりました。正直この2人が一緒のチームなんて本当に夢のチームでした。

「ロビンソンとユーイングが一緒のチームなんて反則すぎっ!」

ちなみに1996年のアトランタオリンピックでもドリームチーム3のメンバーとして金メダルを取っています。

NBA史上に残る名センター

デビッド・ロビンソンはシャキール・オニールが登場する前のNBAを代表するセンターでした。

イースタンカンファレンスを代表するセンターがパトリック・ユーイングでウエスタンカンファレンスを代表するセンターがデビッド・ロビンソンやアキーム・オラジュワンでした。

ロビンソンは1990年代を代表するセンタープレーヤーのうちの1人です。本当に1990年代のNBAを盛り上げてくれました。

「ありがとうロビンソン!!」

今後も語り継がれる名センターであることは間違いありません。

クワドラプルダブルを達成

1994年2月のデトロイトピストンズ戦でNBA史上四人目となるクワドラプルダブルを達成しています。※クワドラプルダブルとは4部門で2桁のスタッツをあげること。

この記録は本当に出にくい記録なので当時ロビンソンが達成した時は、結構NBA関連のメディアが取り上げていました。43分間のプレーで34得点、10リバウンド、10アシスト、10ブロックを記録しています。

「10ブロックってすごすぎ!!」

ちなみにあとの3人はネイト・サーモンド(ブルズ)、アルビン・ロバートソン(スパーズ)、アキーム・オラジュワン(ロケッツ)です。

「NBAでは1994年にロビンソンが達成して以来誰も達成していません」

 

レギュラーシーズンで71得点

ロビンソンは1994年のレギュラーシーズンの最終試合で71得点もしています。この試合でシャキール・オニールの平均得点をわずかに上回り、得点王になりました。

ロビンソンが平均29.8得点、シャキール・オニールが平均29.3得点でした。ちなみにロッドマンもこの試合に出てました。

私はこの得点王争いは本当に記憶に残っています。

シャキール・オニールは初の得点王を逃し、ロビンソンは初の得点王になりました。レギュラーシーズン最後の試合で得点王が決まるって本当に劇的過ぎます。

 

ツインタワー結成

ロビンソンで思い浮かぶのがティム・ダンカンとのツインタワーです。

このツインタワーの結成には色々ありまして、本来ならば弱いチームがドラフト1位指名権を獲得するんですが、当時のスパーズは既に強豪チームでした。

1995-1996年シーズンの成績は59勝23敗です。

しかし、1996-1997年シーズンにロビンソンが怪我をしていて、ほとんどこのシーズンは試合に出れませんでした。

結果レギュラーシーズンを20勝62敗という成績で終わり、ドラフト1位指名権を獲得します。

私は今でもこのシーズンのことを覚えていますが、レギュラーシーズン最後のほうはドラフト指名権を得る為にわざと負けているんじゃないかと思うほどひどかったです。

「疑惑のシーズン」

スーパーズは結果的に、ウェイク・フォレスト大学で大活躍していたティム・ダンカンを1997年に指名しています。

当時のロビンソンはダンカンの兄貴的存在でした。色々とベンチでアドバイスをしていました。本当に仲がよかったです。

もともとロビンソンは大舞台で結果が出せなかったため、メンタルが弱く、リーダーシップが無い選手として見られていたんですが、ダンカンの加入後はプレッシャーから解放されたように見えました。

「よかったね!ロビンソン」

2度のNBAチャンピオン

1998ー1999シーズン(ロックアウトの影響でレギュラーシーズンは50試合のみ)

には37勝13敗でレギュラーシーズンを終えました。NBAファイナルではニューヨークニックス(ミラクルニックス)を倒し、NBAチャンピオンに輝いています。

ロックアウトの影響でレギュラーシーズンが短かったのでこの優勝は色々と議論されていました。

「82試合やっていたら結果が変わっていたかもしれないので議論されたんですね」

しかし、2003年にロビンソンは2度目の優勝を果たしました。この時は82試合ちゃんとありました。NBAファイナルの相手はニュージャージーネッツでしたが、4勝2敗で勝利しました。

私は、この二度目の優勝でロビンソンも本当の意味で胸を張ってNBAチャンピオンと言えると思いました。

「ちゃんとフルシーズンプレーしての優勝ですから」

ロビンソンはこの優勝を最後にNBAを引退します。

「チャンピオンになれて本当によかった!」

それではまた。

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りとるあいばーそん

出身地:日本、 NBAファン歴:30年、 好きなチーム:シカゴ・ブルズ、 好きな選手:ジョーダン、アイバーソン、 好きなプレー:ノールックパス、クロスオーバー、 趣味:スポーツ観戦、ツイッターフォローしてくれると喜びます。

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