レジェンド

クライド・ドレクスラーはNBAのレジェンド

投稿日:2018年5月31日 更新日:

りとる・あいばーそん
今回はクライド・ザ・グライド、クライド・ドレクスラーを紹介するっす!

プロフィール

誕生日:1962年6月22日

出身国:アメリカ

出身地:ルイジアナ州ニューオーリンズ

ポジション:シューティングガード

ドラフト順位:1983年1順目14位

ドラフトチーム:ポートランド・トレイルブレイザーズ

出身校:ヒューストン大学

身長:201cm 体重:95kg

クライド・ドレクスラーは滞空力が長い

クライド・ドレクスラーは非常に滞空力の長い選手でした。彼の滞空力の長いダンクシュートは見るものを魅了しました。

「私もかなり魅了されちゃいました」

とにかく身体能力が高くて、見ていて本当に楽しいプレーヤーでした。ダンクシュートがとにかくかっこよかったです。

「さすがジョーダンのライバル」

ヒューストン大学時代

ドレクスラーはヒューストン大学出身です。当時のヒューストン大学は「ファイ・スラマ・ジャマ」と呼ばれダンクが凄い選手がいっぱい集まっていました。そのうちの一人がドレクスラーでした。

「ファイ・スラマ・ジャマ」

響きがかっこよい

大学時代からドレクスラーはド派手なダンクを決めまくっていました。彼の魅せるバスケットボールは観客を虜にしました。

「やっぱりドレクスラーは大学時代からスゴイ選手」

1983年NBAドラフト

ドレクスラーは1983年に1順目14位でトレイル・ブレイザーズから指名されました。こんなにスゴイ選手なのに

「ドラフト順位低すぎ」

何で彼みたいなスゴイ選手がこの順位まで指名されなかったかは疑問ですが、その後ドレクスラーはNBAで大活躍します。

「ブレイザーズはドレクスラー指名できてよかったですね」

ブレイザーズ時代

ドレクスラーのルーキーイヤーは平均7.7得点でした。やはりルーキーイヤーから活躍するのは至難の業です。しかし、2年目から急成長を遂げます。2年目は平均17.2得点をあげました。

そして、そこからさらにドレクスラーはもっと成長していきます。3年目は平均18.5得点、4年目は21.7得点、5年目は27得点、まだまだ上がる6年目は27.2得点・・・・・・・

「このままあがり続けたらスカウターがぶっ壊れそうwww」

トレイルブレイザーズのエースとなったドレクスラーは1990年にブレイザーズをNBAファイナルへ導きました。

その時は、惜しくもバッドボーイズと呼ばれたピストンズに1勝4敗で敗れてしまいます。

「バッドボーイズ半端ないんですよ、ディフェンスが」

また、1992年にはマイケル・ジョーダン率いるシカゴブルズとNBAファイナルで対戦しました。ドレクスラー対ジョーダンの対決は本当に凄い対決でした。

ドレクスラー対ジョーダンのやりあいは本当に見ごたえがありました。ちなみにこの年ドレクスラーはMVP投票でジョーダンに次ぐ2位でした。 

MVP候補1位と2位の選手の対戦が面白くないわけありません。

ただ、このシリーズはジョーダンが絶好調すぎて、さすがのドレクスラーも歯が立ちませんでした。ドレクスラー自身はファイナル平均24.8得点、7.8リバウンド、5.3アシストをあげますが、2勝4敗で惜しくも負けてしまいました。

このファイナルは本当に面白かったです。

ドレクスラーのニックネーム

NBAでドレクスラーは「クライド・ザ・グライド」というニックネームで呼ばれていました。このニックネームの由来はグライダーが滑空する様から名付けられました。

ドレクスラーのダンクは本当にグライダーが飛んでいるかのように滞空力の長いダンクが印象的です。

「えっ!!そこからダンクすんの?」って言うところからダンクします。

まるでダンクコンテストのようでした。「綺麗なダンクだなぁ」と私はいつも思っていました。

ライバル

ドレクスラーはジョーダンのライバルでした。ポジションもプレースタイルも似ていました。

ジョーダン自身もドレクスラーのことをライバルとして認めています。ジョーダンが認めているんですから相当な選手であることがわかりますね。

「ドレクスラーすげー」

だってNBA史上最高の選手からライバルとして認められているんですから。

ドリームチームⅠ

ドレクスラーは1992年のバルセロナオリンピックでドリームチーム1のメンバーに選出されました。この時ジョーダンと一緒にプレーしています。ジョーダンの控えでドレクスラーが出てくると言う本当に豪華なチームでした。

もちろん金メダルを獲得しています。

「本当に夢のチームでした」

ヒューストンロケッツ時代

ドレクスラーは1995年にブレイザーズからヒューストンロケッツへ電撃移籍します。

「えっドレクスラーがロケッツ!?」

この移籍は当時結構話題になりました。そして、大学時代の盟友アキーム・オラジュワンと再びタッグを組む事になりました。レギュラーシーズンはあまり調子が上がりませんでしたが、この年ロケッツは第6シードでNBAファイナルへ進出します。

相手はシャキール・オニールアンファニー・ハーダウェイ率いるオーランドマジックでした。

ロケッツはマジックを4勝0敗でスウィープしNBAチャンピオンになりました。ドレクスラーは平均21.5得点、9.5リバウンド、6.8アシストの大活躍でした。

「ドレクスラー初優勝おめでとう」

当時のドレクスラーは本当にチャンピオンリングが欲しそうだったのでチャンピオンになれて本当によかったです。

また、1996年にはチャールズ・バークリーがチャンピオンリングを求めロケッツへ移籍してきます。ドレクスラー、バークレー、オラジュワンのビッグスリーは本当にインパクト抜群でした。

「私はこのビッグスリーめっちゃ好きでした」

このビッグ3は優勝は出来ませんでしたが、本当に楽しませてくれました。3人とも全盛期は少しすぎてましたけどね。

2つのチームで永久決番

1997ー1998年シーズンでドレクスラーはNBAを引退します。引退後ドレクスラーの背番号22番はブレイザーズとロケッツの両方で永久欠番になりました。

「本当に凄い事です」

また、2004年には殿堂入りしました。

私はドレクスラーの事を本当にかっこいいと思ってましたし、何度も彼のプレーを見たので彼が殿堂入りしたことは本当に嬉しいです。

「ドレクスラーさん、かっこいいダンクを沢山ありがとうございました」

それではまた。

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りとるあいばーそん

出身地:日本、 NBAファン歴:30年、 好きなチーム:シカゴ・ブルズ、 好きな選手:ジョーダン、アイバーソン、 好きなプレー:ノールックパス、クロスオーバー、 趣味:スポーツ観戦、ツイッターフォローしてくれると喜びます。

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