マイケルジョーダン関連

マイケル・ジョーダンとナイキについて。

投稿日:2019年6月6日 更新日:

りとる・あいばーそん
おはこんばんにちわ!りとるあいばーそんです。

今回はマイケル・ジョーダンとナイキについて書いていきます。

それでは行きましょう!

ジョーダンとナイキを繋げた人物

ナイキとジョーダンを繋げたのはソニー・ヴァカーロというナイキに雇われていた人物。

彼は1982年のファイナルフォーでジョーダンに目をつけました。

その後、積極的にナイキへジョーダンを売り込みます。しかし、この時のジョーダンは今のように伝説的な選手になるとは世間一般的には思われていませんでした。

とにかくヴァカーロはジョーダンの魅力をナイキの幹部達に説明。

ナイキの幹部達もヴァカーロに耳を傾けます。

りとる・あいばーそん
もし、ヴァカーロがいなかったジョーダンとナイキは契約してなかったかも?

エアジョーダンのアイディア

1984年、ジョーダンの代理人だったデビッド・フォークが製品の候補リストをナイキへ提示。

ナイキはエア・ジョーダンをすぐに気に入りました。会議が終わる頃には、ナイキのクリエイティブディレクターのピーター・モアが初代エアジョーダンのロゴを描いています。

あのバスケットボールに羽が生えたやつですね。ウイングマークと呼ばれています。エアージョーダン2まで使用されていました。

りとる・あいばーそん
ジャンプマンロゴもかっこいいけど、ウィングマークもめっちゃかっこいい!

ナイキと契約

ナイキから契約の説明を受ける為、両親と共にナイキの会議に出席したジョーダン。しかし、ジョーダン自身はその会議に行きたくなくて最初は行かない予定だったそうです。

しかし、母親のデロリスから会議に行く様に説得されました。

ジョーダン自身はあまり乗り気ではありませんでしたが、ナイキのジョーダンに対する姿勢を母親が気に入ります。その後、母親の助言もありジョーダンはナイキと契約しました。

契約内容は5年間で250万ドル。また、エアジョーダンの売り上げから25パーセントを得る事、ナイキエアのロイヤリティーも受け取る契約になっていました。

この契約は当時、前代未聞の契約でとにかく破格な内容。当時ジョーダン21歳、NBAでは1分もプレーしていません。

ナイキにとっては物凄い賭けであったのは間違いないでしょうし、ジョーダンがもし活躍出来なければナイキ自体もやばかったかもしれませんね。

りとる・あいばーそん
ジョーダンの母親の判断はさすがです!

ジョーダンはアディダスが大好きだった

大学時代のジョーダンはコンバースのシューズを履いていました。あの有名な「THE SHOT」の時もコンバースでしたね。

ただ、実はマイケル・ジョーダンはアディダスがお気に入りでした。

自分自身をアディダスナッツ(アディダス狂)と呼ぶほどです。

そんなジョーダンが愛してやまないアディダスも、実はジョーダンと契約する事を検討していました。ただ、ナイキの提示した契約よりは全然しょぼかったらしいです。

正直NBAでプレーしてない21歳の若者に5年2500万ドルの契約をする事自体、おかしいと言えばおかしいですもんね。アディダスの対応が当たり前と言えば当たり前。

如何にナイキがジョーダンに期待していたかが分かります。

りとる・あいばーそん
結果的にこのナイキの選択は大成功!

エアジョーダン1のリリース

1985年のナイキはエアジョーダン1をリリースしました。

エアジョーダンは赤と黒の当時としてはド派手なデザインでした。今でこそカラフルなシューズの着用を認めているNBAですが、当時のNBAはこの派手なシューズを禁止します。

シューズを履いて試合に出るたびに毎回5000ドルの罰金を課すと決めました。

しかし、ナイキのロブ・ストラッサーはナイキが罰金を肩代わりしてでも、ジョーダンにシューズを履かせ続けます。ただ、これが功を奏しました。

NBAから禁止されていると言う事を逆に利用し、エアジョーダン1の宣伝活動を行います。それが話題となり、エアジョーダン人気が加速しました。

シューズはどんどん売れ続け、最初の3年で1.5億ドルもの売り上げを上げています。

りとる・あいばーそん
すげー

ジョーダンがオールスターで締め出される。

ジョーダンは1985年のオールスターウィークエンドのダンクコンテストに派手な赤と黒のウェアで登場。

しかも、この時金のネックレスをしていました。実際はナイキから頼まれて派手なジャンプマンスーツを着用していただけで、本人は嫌だったらしいです。

しかし、そんな派手な姿が、当時のスーパースター達になまいきだと思われてしまいました。

アイザイア・トーマスがオールスターでジョーダンに意図的にパスしなかったのは有名な話ですね。

りとる・あいばーそん
これはジョーダンが可哀想。

まとめ

今は日本でナイキのバスケットシューズを履いている人が大勢います。しかし、80年代はむしろ少数派でした。アシックスやランバードなどを履いている選手が多かったです。

ナイキやエアジョーダンが一般的に流行り出したのは80年代後半からだったと記憶しています。

もし、エアージョーダン1が爆発的に売れていなかったら、ジョーダンが活躍できていなかったら、ナイキ自体どうなっていたか分からなかったそうです。

ナイキにとってジョーダンは無くてはならない人物ですね。

りとる・あいばーそん
ジョーダン様様。

それではまた。

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りとるあいばーそん

出身地:日本、 NBAファン歴:30年、 好きなチーム:シカゴ・ブルズ、 好きな選手:ジョーダン、アイバーソン、 好きなプレー:ノールックパス、クロスオーバー、 趣味:スポーツ観戦、ツイッターフォローしてくれると喜びます。

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