
プロフィール
誕生日:1980年9月12日
出身国:中国
出身地:上海市
ポジション:C
ドラフト順位:2002年1順目1位
ドラフトチーム:ヒューストン・ロケッツ
出身チーム:上海シャークス大学
身長:229cm 体重:141kg
ヤオ・ミンは中国を代表するNBAプレーヤー
ヤオ・ミンは中国出身のNBA選手の中では1番有名で1番NBAで結果を残した選手です。
彼はなんと身長が229cmもあります。ウイングスパンは251cm、足のサイズは38cmです。
足は意外と小さいですね。
そして、ニックネームがなんと「歩く万里の長城」です。
とにかくヤオ・ミンは規格外の大きさでした。
大体ヤオみたいに身長が高いと動きが遅かったりするんですが、ヤオは例外です。
こんなにデカイのにコートの端から端まで全力疾走してました。
ニックネームは「歩く万里の長城」だったけど「走る万里の長城」でもよかったと思います。
フットワークは軽やかでアウトサイドのシュートもかなりうまかったです。
こんな選手は今後なかなか現れないでしょう。
さすが中国
上海シャークス
ヤオミンはNBAでプレーする前は上海シャークスでプレーしていました。シャークスには1997年から2002年まで所属しています。
キャリア平均では平均23.4得点、15.4リバウンドの成績を残しました。
2001年にはMVP、2002年にはファイナルMVPに輝いています。
ヤオミンがつけていた背番号15番は永久欠番になりました。
ちなみに今現在(2018年12月)は上海シャークスのオーナーを務めています。
2002年NBAドラフト
ヤオ・ミンは2002年のNBAドラフトにおいて1順目1位でヒューストン・ロケッツに指名されます。
当時のドラフトではヤオ・ミンかデューク大学のジェイ・ウイリアムスが1位指名されると言われていたので、予想通りの指名でした。
私的にヤオミンはアキーム・オラジュワンの後継者的な存在でしたね。ただドラフト時には本当にNBAで活躍できるか疑問がありました。
実際アメリカの解説者なども「ヤオはNBAで通用しない」と言うコメントをしています。
またチャールズ・バークレーにいたってはヤオがルーキーイヤーに20得点以上取ったら、ケニー・スミスの尻にキスをするという賭けをしました。
それだけアジア人の選手がまだまだNBAで通用するとは思われていなかった時代でした。
※ちなみにヤオはそのシーズンの11月17日のレイカーズ戦で20得点を挙げます。
賭けに負けたバークレーはケニー・スミスの尻にはキスしませんでしたが、スミスが用意したロバの尻にキスをしました。
ヒューストン・ロケッツで大活躍
ヤオミンは1年目から平均13.5得点、8.2リバウンドの成績を残しました。
大活躍したヤオはオールルーキーファーストチームに選出されています。当時のロケッツのエースだったスティーブ・フランシスとのプレーは本当によかったですね。
フランシスとはロケッツで2シーズン一緒に戦いました。ヤオ・ミンとフランシスのホットラインを私は物凄く好きでした。
ヤオはNBAキャリア8年間で平均19得点、9.2リバウンドの成績を残します。
彼が付けていた背番号11番はロケッツの永久欠番になりました。
同じアジア人のヤオがNBAで大活躍するところを見ているだけで私は嬉しかったですね。

NBAオールスター
ヤオ・ミンはNBAオールスターに8回(2003-2009,2011)出場しました。
2000年代のウエスタンカンファレンスのオールスターセンターと言えばヤオっていうイメージでしたね。
彼は中国で絶大な人気があるので、かなりのファンがオールスターのファン投票で彼に投票したと思います。
ちなみに中国の人口約13億8000万人です。
ヤオ一族
ヤオ・ミンの父親と母親もバスケットボールの選手でした。父親は208cm、母親は188cmもあります。
やっぱ身長って遺伝なんですねw
ちなみにヤオミンの奥さん(イエ・リー)も元バスケットボール中国代表で身長が190cmもあります。アテネオリンピックに出場しました。
娘のヤオ・チンレイちゃんもめっちゃでかくて、将来有望なバスケ選手になる可能性大ですね。
ヤオ・チンレイちゃん覚えておきましょう!
それではまた。