
プロフィール
誕生日:1977年7月28日
出身国:アルゼンチン
出身地:ブエノスアイレス州バイアブランカ
ポジション:シューティングガード
ドラフト順位:1999年2順目57位
ドラフトチーム:サンアントニオ・スパーズ
出身チーム:アンディーノ・スポルトクラブ
身長:198cm 体重:95kg
目次
アルゼンチンを代表するNBA選手マヌ・ジノビリ
ジノビリはアルゼンチンを代表するNBAプレーヤーです。

今回はそんなジノビリについて書いていこうと思います。
ジノビリ・ステップ
ジノビリがNBAでプレーする前はユーロステップを使っているNBA選手はまったくと言っていいほどいませんでした。しかし、ジノビリがNBAの中でこのプレーをするにしたがって、徐々にこの技術が取り入れられました。
今ではNBAでも当たり前になったこのステップ。彼の変幻自在の動きは相手ディフェンダーを困惑させました。
華麗なユーロステップは別名「ジノビリステップ」とも呼ばれ、ジノビリの必殺技でした。ボールを抱え込んで叩かれないようにするのも特徴的ですね。
相手ディフェンダーの間をすり抜けてそこからシュートまでの流れが本当に滑らかです。
ドラフト順位
ジノビリは1999年のNBAドラフトで2順目57位で指名されました。素晴らしい選手であったのは間違いないんですが、当時はアルゼンチンの選手に対してあまり評価が高くありませんでした。
結果的にこれだけ素晴らしい選手が2順目の下位まで指名されずに残っていました。スパーズは迷わずジノビリを指名しました。スパーズにとって、この順位でジノビリを指名出来たのは本当にラッキーでした。
そして、スパーズのスカウト陣は先見の明を持っていました。
最初は海外リーグでプレーしていた
ジノビリはスパーズにドラフト指名される前には、1995年から1998年までアルゼンチンリーグでプレーしています。また、1998年から2002年まではイタリアのセリエAでプレーしていました。
ジノビリはセリエAのチームと契約していた1999年にスパーズからドラフト指名を受けます。しかしドラフト指名された直後にはNBAでプレーせずに2002年にスパーズと契約しました。
ユーロリーグでは2001年にユーロリーグのファイナルMVPに輝いています。
世界のバスケットのレベル
1990年代半ばまではアメリカの独壇場でしたが、1990年代後半から2000年代になると世界のバスケットボールのレベルが飛躍的にあがりました。
アメリカ代表が余裕で国際試合で勝てる時代は終わりを迎えました。
そんな中で世界中から実力のある選手がNBAへ入団しました。ジノビリもそのうちの一人でした。
その中でも特にジノビリの活躍は本当にすごかったです。2004年のアテネオリンピックでは金メダルを獲得し、MVPにも輝きました。
スパーズでのキャリア
ジノビリは2002-2003年シーズンからスパーズでプレーし始めます。ルーキーイヤーからNBAで大活躍しました。
その年、オールルーキーセカンドチームに選出されています。また、その年のプレーオフではニュージャージーネッツを倒しNBAチャンピオンに輝いています。
ルーキーイヤーからインパクトを残したジノビリはスパーズに無くてはならない存在になりました。そして、翌年からはスターターに定着します。
その後スパーズでエースとして活躍したジノビリは2005年、2007年、2014年と計4回NBAチャンピオンになっています。
スパーズが4回も優勝できたのはジノビリの存在が大きかったですし、全盛期のジノビリは相手にとって本当に厄介なプレーヤーでした。
オールスターには2度(2005、2011)出場しています。また、2006-2007年シーズンからはシックスマンとしてプレーし2008年にはシックスマン賞も受賞しています。
ピンポイントパス
すべてのプレーをハイレベルでこなせるジノビリですがパスに関しても、センス抜群です。他の選手が通さないようなところにピンポイントパスを出す能力は本当に凄いです。
針の穴を通すようなパスは本当に素晴らしいですね。また、ジノビリのビハインドザバックパスは本当に観客を熱狂させます。
ボディーバランスとフェイクが凄い
凄いショット↓
相手ディフェンダーもなす術なしです↓
スパーズでの記録
ジノビリはティム・ダンカン、トニー・パーカーとともに、3人でのNBA記録をいっぱい持っています。通算レギュラーシーズン試合数、通算勝利数、通算プレーオフ試合数、通算プレーオフ勝利数ではNBA史上1位です。
長い間スパーズの為に素晴らしいプレーをしチームを勝たせ続けたことは本当に凄いです。
レギュラーシーズン通算では13.3得点、3.8アシスト、3.5リバウンド、プレーオフでは14得点、3.8アシスト、4リバウンドの成績を残しています。
それと、数字には出ないですがジノビリのバスケットボールIQの高さや勝負どころでのスリーポイントシュートは本当に凄くて何度もチームを勝利に導きました。
ジノビリ引退
引退がささやかれていますが、日本にも本当に彼のファンが多いので出来るだけ長くプレーして欲しいですね。
(と言っていた矢先2018年に引退しました。)
「ジノビリお疲れ様でした!」

それではまた。