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NBAの伝説、ピート・マラビッチ(ピストル・ピート)

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りとる・あいばーそん
今回はピストルピートことピートマラビッチを紹介するっす!

プロフィール

誕生日:1947年6月22日

出身国:アメリカ

出身地:ペンシルベニア州アリクイパ

ポジション:コンボガード

ドラフト順位:1970年1順目3位

ドラフトチーム:アトランタホークス

出身校:ルイジアナ州立大学

身長:196cm 体重:90kg

1970年代を代表する選手、ピート・マラビッチ

ピート・マラビッチは1970年代を代表するガードの選手です。

ピート・マラビッチを知ったきっかけ

私がピート・マラビッチのことを始めて知ったのは、彼の自叙伝を基に製作された映画「バスケット・ボーイ」(原題「The Pistol」)でした。

中学校の時の先生が「今からビデオ見るから集合!」と言う命令がありました。DVDじゃなくて「ビデオ」です(笑)

本当に面白かったのを今でも思い出します。そして、非常にに刺激になりました。

マラビッチのプレー

マラビッチのプレーは非常にトリッキーでかっこいいです。本当に魅せるプレーをする選手です。私は本当に好きです、マラビッチのプレーが。

惚れ惚れします。

最近で言えばジェイソン・ウィリアムズのようなプレーをする選手と言えば分かりやすいでしょう。多分ジェイソン・ウィリアムズはマラビッチの影響かなり受けてるんじゃないでしょうかね?

似ているプレーが結構あります。

大学時代、NCAAで数々の記録を残す

大学時代にはルイジアナ州立大学で数々の記録を残しています。

通算3,667得点は50年近く経った今現在でもNCAAの記録です。

そして、目を疑う数字ですが大学時代の平均得点がなんと44,2得点ととんでもない数字となっております。

ちなみに1年生の時平均43,6得点、2年生の時平均43,8得点、3年生の時平均44,2得点、4年生の時平均44,5得点でした。

また、4年生の時にはジェームズ・ネイスミス賞を受賞しています。

ルイジアナ州立大学といえばシャキール・オニールが所属していた事で有名ですが、シャックの前に既に化け物がいたと言う事ですね(笑)「マラビッチ→シャック→????」今後もルイジアナ州立大学からとんでもない選手が出て来るかもしれません。 要チェックですね。

NBAで10年間プレー

 

マラビッチはNBAでは3つのチームに所属しました。1971年から1974年まではアトランタホークス、1974年から1979年まではニューオリンズ・ジャズ、1979年から1980年まではボストン・セルティックスでプレーしました。

ユタ・ジャズじゃなくてニューオリンズ・ジャズです(笑)私にとっては未知の世界です。

↑ラリーバードと一緒にプレー

NBAでは1971年から1980年まで10年間プレーし、引退しました。

NBAでの活躍

NBAオールスターには5回(1973、1974、1977、1978、1979)選出、1976年には得点王にも輝いています。

また背番号7番はユタジャズとニューオリンズニューオリンズペリカンズで永久欠番、44番はアトランタ・ホークスで永久欠番となっています。

NBA史上に残る50人の偉大な選手に選出

引退後、残念な事にマラビッチはバスケットボールをしている最中に心臓発作で亡くなります。1988年の1月の事でした。

マラビッチで私の心に残っているのが1996年に発表された「50人の偉大な選手」に選ばれたことです。

マラビッチの子供たちがマラビッチの代わりに賞を受賞しました。この年のオールスターのハーフタイムに1人ずつ50人全員が紹介されました。特別に作られたスタジャンが本当にかっこよかったです。

最後に

こんなにトリッキーなプレーをする選手が半世紀以上前にいたと言う事自体が信じられません。アメリカのバスケットボールの歴史を感じずにはいられません。

おわり

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りとるあいばーそん

出身地:日本、 NBAファン歴:30年、 好きなチーム:シカゴ・ブルズ、 好きな選手:ジョーダン、アイバーソン、 好きなプレー:ノールックパス、クロスオーバー、 趣味:スポーツ観戦、ツイッターフォローしてくれると喜びます。

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