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dream team(ドリームチーム)
1992年にバルセロナオリンピックが開催されました。
当時、日本ではNBAブームもあり、バスケットボール男子アメリカ代表はかなり注目されていました。
アメリカ代表は「ドリームチーム」と呼ばれ全世界のスポーツシーンに影響を与えます。
本当にドリームチームは特別なチームでした。今後このようなチームが出てくる事はもうないのではないかと思います。
選手、監督、コーチすべてが最高でした。
ソウルオリンピックで銅メダルに終わったアメリカ
アメリカは1988年のソウルオリンピック準決勝でソ連(ソビエト連邦)に負け銅メダルに終わりました。
金メダルを獲得するのが当たり前だったバスケットボール男子アメリカ代表が負けたのは当時のアメリカに衝撃を与えます。
当時のアメリカ代表にはデビッド・ロビンソン、ダン・マーリー、ダニー・マニング、ミッチ・リッチモンド、ステイシー・オーグモン、ハーシー・ホーキンスなど後にNBAで活躍する選手が多数いました。
しかし、学生主体で構成されたアメリカ代表はソ連に負けてしまいます。
バスケットボール大国アメリカにとっては本当に屈辱的な負けだったのは言うまでもありません。
プロ解禁
当時バスケットボールにおいてはプロ選手がオリンピックに出場する事ができませんでした。しかし、バルセロナオリンピックからプロ選手が出場可能になります。
プロが解禁になり、アメリカは金メダルを奪還するため「ドリームチーム」を結成しました。
メンバーはマジック・ジョンソン、ラリー・バード、マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペン、チャールズ・バークレー、デビッド・ロビンソン、パトリック・ユーイング
クライド・ドレクスラー、ジョン・ストックトン、カール・マローン、クリス・マリン、クリスチャン・レイトナー(当時デューク大学の学生)の12名でした。
当時スターポイントガードだったアイザイア・トーマスは惜しくも落選しています。
そして、監督はデトロイト・ピストンズを2連覇に導いていたチャック・デイリーです。アシスタントコーチにはマイク・シャセフスキー、レニー・ウィルケンズ、P.Jカーリシモがいました。選手だけでなくコーチ陣も特別でした。
本当にドリームチームという言葉がぴったりでした。
日本での影響
当時の日本では野球やサッカーと違いバスケットボールの話題はほとんどニュース番組では取り扱われていませんでした。
だた、ドリームチームは特別でした。
ドリームチームはバスケットボール関係者の間だけでなく、日本のニュース番組でも特集されるほど話題になっていました。
やっぱり凄いチームだったんですよドリームチームって。
ドリームチームは本当に特別なチーム
ドリームチームの何が凄いかと言うとマジックからのアシストでバードがシュート、ロビンソンとユーイングが一緒のコートでプレーする、ストックトンのアシストからピッペンが決める、
ジョーダンの控えでドレクスラーが出てくるとか普段のNBAでは絶対に見ることが出来ないシーンが見れたことです。
とくにジョーダン、マジック、バードの3人が一緒にコートに立っているのを見たときはめっちゃ感動しました。
ドリームチームは本当に「夢」を見させてくれる最高のバスケットボールチームでした。
本当にドリームチーム最高!!
当時の選手紹介の映像ですが今見ても鳥肌立ちます↓
バルセロナオリンピックモデル
バッシュもバルセロナオリンピックモデルが発売されました。エアジョーダン7のバルセロナオリンピックモデルが発表された時は本当にかっこよすぎてめちゃくちゃ欲しかったのを今でも思い出します。
予約殺到でしたし、すぐプレミアがつき値段が高騰しました。このカラーマジでかっこよすぎでしょ。
バークレーモデルのエアフォース180LOもかっこよかった!ちなみにすぐ入手困難なりました↓
バードやマジックはコンバースのオリンピックモデルのバッシュを履いていました。
ユニフォームもかっこよくて歴代アメリカ代表のユニフォームの中で一番好きです。今思い出しても本当に特別です。
圧倒的強さ
勝敗は試合前から決まっていました。
相手チームも試合中に記念写真を撮ってもらうなど、最初から諦めムードでした。それだけドリームチームの選手達が凄いメンバーだったのは間違いありません。
対戦成績はアンゴラ(116対48)、クロアチア(103対70)、ドイツ(111対68)、ブラジル(127対83)、スペイン(122対81)、プエルトリコ(115対77)、リトアニア(127対76)、決勝クロアチア(117対85)
すべてアメリカが100点以上とり相手は100点以下に抑えると言う圧倒的な力の差でした。
アメリカが相手チームに対してリードを許したのは決勝のクロアチア戦の前半数分のみです。
数分間でしたがリードされた事でアメリカが本気モードになりました。その後クロアチアをボコしたのは言うまでもありません。
世界への影響とNBAのグローバル化
バルセロナオリンピックを機にその後世界のバスケットボールのレベルが上がりました。
当時のNBAには外国籍の選手はあまりいませんでしたが、このオリンピックを機に徐々に外国籍の選手が増えました。
代表的な選手と言えばオリンピック後にシカゴ・ブルズに加入したトニー・クーコッチです。クーコッチはクロアチア代表としてバルセロナオリンピックで大活躍しました。そして、シカゴブルズのスカウトの目に留まりNBA入りします。
その後は、どんどんグローバル化が進みマヌ・ジノビリやトニー・パーカー、パウ・ガソル、スティーブ・ナッシュ、ダーク・ノビツキーなど素晴らしい選手がNBAの舞台で活躍したのは記憶に新しいです。
元祖ドリームチームが世界中の人達に与えた影響は大きく、バスケットボールの普及に多大なる貢献をしたことは疑いようがないです。
今のNBAがあるのは彼らのおかげといっても過言ではありません。
ドリームチームが負けた
補足ですが、ドリームチーム1を倒したチームが世界で1チームだけ存在するのをご存知でしょうか?
それはなんとアメリカの大学生選抜チームです。
メンバーにはクリス・ウェバー、グラント・ヒル、アンファニー・ハーダウェイ、ボビー・ハーリーなど有名な選手がいました。もちろんドリームチームが本気を出してなかったと言うのもあるんでしょうが試合は大学選抜が勝利しています。
油断してたんでしょうね(笑)練習試合だったし。
歴代最強のドリームチーム
私は歴代最強のドリームチームは元祖ドリームチームだと思っています。
時代が違うので比べる事は難しいですが、ドリームチーム1ほどインパクトのあるアメリカ代表は未だに登場していません。
私の中では歴代ドリームチームの中でも「色んな意味」でドリームチーム1が最強です。
それではまた。