
プロフィール
誕生日:1978年8月23日
出身国:アメリカ
出身地:ペンシルベニア州フィラデルフィア
ポジション:シューティングガード
ドラフト順位:1996年1順目13位
ドラフトチーム:シャーロット・ホーネッツ(レイカーズへトレード)
出身校:ローワー・メリオン高校
身長:198cm 体重:93kg
NBAデビュー:1996年11月3日
目次
- 1 コービー・ブライアント
- 2 あだ名がブラックマンバ
- 3 父親もNBA選手
- 4 コービーの名前の由来は神戸牛
- 5 コービーの名言
- 6 コービーの性格
- 7 高卒でドラフト
- 8 高卒指名が流行
- 9 若き日のコービーから感じたもの
- 10 ジョーダンそっくり
- 11 最初はベンチスタート
- 12 1997年のダンクコンテストで優勝
- 13 NBAのスーパースターに
- 14 レイカーズ王朝
- 15 2000年のNBAファイナルに進出
- 16 このファイナルでのコービーの成績
- 17 2001年NBAファイナル
- 18 2002年NBAファイナル
- 19 真のレイカーズのエースへ
- 20 コービー・ブライアントの1試合81得点
- 21 オリンピックで金メダル
- 22 キャリア終盤のコービー
- 23 NBA歴代4位の得点記録
- 24 コービーの経歴
- 25 最後に
コービー・ブライアント
コービー・ブライアントはNBAの歴史に残る名選手。
現役時代はあのマイケル・ジョーダンと肩を並べるくらい大活躍しました。
彼はとにかく勝利に対する情熱が半端なかったです。
ただ、あまりに我が強かった為、アンチコービーはかなり多かったですね。私の知り合いもアンチです。
実際私も昔はアンチコービーでした(今は好き)
あだ名がブラックマンバ
彼のあだ名はブラックマンバ。
ちなみにブラックマンバとはアフリカ大陸でもっとも恐れられている毒蛇です。
彼の猛毒にやられたらどんなNBA選手でもひとたまりもありませんねw

父親もNBA選手
彼の父親ジョー・ブライアントも元NBA選手でした。
1975年のNBAドラフトにおいて1順目14位でゴールデンステート・ウォリアーズに指名されています(その後シクサーズや他球団でプレー)
ちなみに身長は206cmありポジションはパワーフォワードとセンターをやっていました。
コービーの名前の由来は神戸牛
コービー・ブライアントの「KOBE」は、彼の父親が日本の神戸牛が物凄く好きでそこからそのまま取ったのは有名な話です。
私はこれを知ったときになんか嬉しい気持ちになりました。
まさか神戸牛が由来なんて。物凄く親近感が沸きますね。ちなみに欧米で神戸牛はかなり知名度が高いです。
コービーの名言
コービーの名言はいっぱいありますが、私が1番コービーにぴったりだと思うのが「I‘m chasing perfection」です。
僕は完璧を追い求めている

コービーの性格
下の動画見たらコービーの事がよく分かります↓
なんか嫌われてますけど、そこもコービーの魅力だと私は思っています。
高卒でドラフト
コービーは高校卒業後NBAドラフトにアーリーエントリーしています。
1996年のNBAドラフトにおいて、1順目13位でシャーロット・ホーネッツに指名されました。
実はレイカーズじゃないんですね。
シャーロット・ホーネッツに指名された直後、レイカーズの名センターだったブラデ・ディバッツとトレードでレイカーズに移籍しています。
ディバッツもかなりいい選手だったのでこの時点ではいいトレードだったと私は思います。

コービーがその後こんなに偉大な選手になるとはホーネッツの経営陣は思ってなかったはず。
ホーネッツはかなり損をしましたね。
高卒指名が流行
1995年のNBAドラフトで高卒のケビン・ガーネットがミネソタ・ティンバーウルブスに指名されました。
ガーネットがある程度活躍した事から、その後、有能な高卒プレーヤーをドラフトで早めに指名してしまうという事が頻繁におこりました。
コービー・ブライアントもその1人です。
ガーネット→コービー→マグレディ→その他、どんどん高卒選手が指名されていきました。
若き日のコービーから感じたもの
若い時のコービー・ブライアントはキャリア晩年とは違いとにかくNBAで何かを証明したくてしょうがないという感じがひしひしと感じられました。
本当に野心家でしたね。
ジョーダンそっくり
初めて彼のプレーを見た時は、思わず「ジョーダンにそっくり!?」と思いました。
特にフェイダウェイはまさにジョーダンのコピーでしたね。
あとスキンヘッドにリストバンドの位置まで全部ジョーダンそっくりでした。

最初はベンチスタート
高校卒の選手がいきなり大人の世界で活躍できるほどNBAは甘くありませんでした。
あのコービーでさえ初めはベンチスタートでしたし、出場時間もそこまで長くなかったです。ルーキーシーズンの平均得点は7.6得点でした。
あのコービーがたったの7.6得点です(出場時間は平均15.5分)
しかし、コービーは当時からどことなく他の選手とは違うオーラのようなものを持っていて、只者ではないのが分かりました。
1997年のダンクコンテストで優勝
ルーキーイヤーに出場したダンクコンテストでの又抜きダンクは非常に印象的でした。
この時は又抜きダンクが流行ってたんですよね。
まあアイザイア・ライダーのパクリっちゃパクリでしたけどもw
ちなみにコービーがこの時付き合っていた彼女が会場にいたらしいです。
NBAのスーパースターに
2年目のシーズンから徐々にNBAで活躍し始めたコービーはスコアラーとして非凡な才能を発揮しました。
ルーキーイヤーこそ平均一桁得点でしたが、2年目以降は一気に成績を伸ばします。
全盛期のコービーのプレーは本当に凄かった!
現役時代のコービーのスタッツ↓
シーズン | 平均得点 |
1996-97 | 7.6 |
1997-98 | 15.4 |
1998-99 | 19.9 |
1999-00 | 22.5 |
2000-01 | 28.5 |
2001-02 | 25.2 |
2002-03 | 30.0 |
2003-04 | 24.0 |
2004-05 | 27.6 |
2005-06 | 35.4 |
2006-07 | 31.6 |
2007-08 | 28.3 |
2008-09 | 26.8 |
2009-10 | 27.0 |
2010-11 | 25.3 |
2011-12 | 27.9 |
2012-13 | 27.3 |
2013-14 | 13.8 |
2014-15 | 22.3 |
2015-16 | 17.6 |
キャリア平均 | 25.0 |
レイカーズ王朝
1999年に名将フィル・ジャクソンがレイカーズのヘッドコーチに就任。フィル・ジャクソンはレイカーズにトライアングルオフェンスを持ち込みました。
シャキール・オニールを中心としたトライアングルオフェンスは非常に強力でした。
ただ当時のレイカーズのエースはあくまでシャックであってコービーではありませんでしたけどね。
コービーがシャックの事をどう思っていたのか分かりませんけど、コービーがシャックを押しのけてチームのファーストオプションになりたかったのはなんとなく見ていて感じました。
2000年のNBAファイナルに進出
フィル・ジャクソンがヘッドコーチに就任したレイカーズは67勝15敗でNBAファイナルに進出します。
相手はレジー・ミラー率いるインディアナペイサーズ。
ペイサーズもかなりいいチームでしたけど、4勝2敗でレイカーズがペイサーズを倒して優勝しました(この優勝はマジック・ジョンソンがレイカーズで優勝した時以来の優勝)
まさに名門レイカーズが復活した瞬間でしたね!
コービーはこの優勝が初優勝でした。
このファイナルでのコービーの成績
平均15.6得点はコービーとしては少ないですね。
平均出場時間 | 平均得点 | アシスト | リバウンド |
35.2 | 15.6 | 4.2 | 4.6 |
2001年NBAファイナル
2001年のNBAファイナルではアレン・アイバーソンやディケンベ・ムトンボ率いるフィラデルフィア・セブンティーシクサーズと対戦。4勝1敗で勝利し2連覇を達成しました。
このファイナルでのコービーとアイバーソンの勝負は本当に凄かった!
私はシクサーズを応援していたので非常に悔しかったのを今でも思い出します。
「コービーめ~」
2001年NBAファイナルでのコービーの成績↓
平均出場時間 | 平均得点 | アシスト | リバウンド |
46.8 | 24.6 | 5.8 | 7.8 |
このファイナルからどんどんコービーの存在感が増してきました。
2002年NBAファイナル
2002年のNBAファイナルではジェイソン・キッドやリチャード・ジェファーソン率いるニュージャージー・ネッツと対戦します。
当時王朝を築いていたレイカーズはスイープでネッツを倒しスリーピート(三連覇)を達成しました。
コービーも活躍してはいましたが、あくまでも当時のレイカーズはコービーのチームではなくシャックのチームでしたね。
その証拠に3年ともファイナルMVPはシャキール・オニールが受賞しています。
コービーの2002年のNBAファイナルの成績↓
平均出場時間 | 平均得点 | アシスト | リバウンド |
43.8 | 26.8 | 5.3 | 5.8 |
真のレイカーズのエースへ
2004年にシャキール・オニールがマイアミ・ヒートへ移籍。
晴れてチームのファーストオプションになったコービーでしたが、シャックが抜けた後のレイカーズはまったく別のチームになってしまいます。
NBAファイナルに出場する事もしばらくありませんでした。
やはり最初の3連覇はシャックの力によるものが大きかったんです。その証拠にシャキール・オニールが加入したヒートは2006年にNBAチャンピオンになりました。
チームを勝たせていたのはあくまでもシャックだったんです。
なので当時の私はコービーの真の実力に対してまだまだ懐疑的でした(偉そうにすんません)
コービー・ブライアントは自身がチームのエースとして、シャックなしでも優勝できる事を証明しなければなりませんでした。
ただコービーはそれをやってくれましたね。
2009年と2010年にバックトゥバックを達成しました。
コービーは2年連続ファイナルMVPを受賞しています。
ある意味この優勝がコービーがレイカーズのエースとして初めて掴み取ったチャンピオンリングでした。彼はシャキール・オニールがいなくても優勝できる事を見事に証明しました。
私は、アンチコービーでしたがこの優勝を期に徐々にコービーのことが好きになりましたね。
コービーやるやん
コービー・ブライアントの1試合81得点
コービーのキャリアの中で特に印象に残っているのは2006年1月22日のラプターズ戦でNBA歴代2位の81得点を挙げたこと。
この試合のコービーはまさに神がかっていました。
この記録はチェンバレンの100得点に次ぐ記録です。

オリンピックで金メダル
コービーは2008年の北京オリンピックと2012年のロンドンオリンピックで金メダルを獲得しています。
オリンピックでのコービーもNBA同様存在感抜群でした。
アメリカチームは彼がいなければ優勝できてなかったかもしれません。
NBAチャンピンに金メダルに本当にすごい!
キャリア終盤のコービー
コービーは2010年にNBAチャンピオンになった後は優勝することが出来ませんでした。
しかしコービー自身は常に活躍しつづけていましたし、リーグでもトップクラスの選手でした。
2013年にアキレス腱を断裂するまでは・・・
キャリア晩年にアキレス腱を断裂した後、やはり力が衰えましたね。
しかし・・・
コービーは引退試合でなんと60得点しました。ちなみにこの試合は日本でも放送がありました。まさかの60点でしたね。
コービーの引退試合での活躍は本当に感慨深かったです。

最後の最後までNBAファンを楽しませてくれたコービーには非常に感謝しています。
コービーの闘志むき出しのプレーは本当に素晴らしかったです。
NBA歴代4位の得点記録
コービーはNBAで20シーズンプレーして33,643得点しました。
これは2019年3月現在、NBA歴代3位の記録です。
1280試合での達成になりました。
正直ジョーダンの32,292得点を超えたときはなんとも言えない気持ちになりましたね。
なぜなら私はジョーダン信者だからですw
コービーの経歴
コービーの主な経歴をまとめてみました↓
NBAチャンピオン(2000-2002、2009、2010) |
NBAファイナルMVP(2009、2010) |
シーズンMVP(2008) |
NBAオールスターに18回出場(1998、2000-2016) |
オールスターMVPに4回選出(2002、2007、2009、2011) |
オールNBAファーストチームに11回選出(2002-2004、2006-2013) |
オールNBAセカンドチームに2回選出(2000、2001) |
オールNBAサードチームに2回選出(1999、2005) |
オールNBAディフェンシブファーストチームに9回選出(2000、2003、2004、2006-2011) |
オールNBAディフェンシブセカンドチームに3回選出(2001、2002、2012) |
得点王に2回(2006、2007) |
スラムダンクチャンピオン(1997) |
オールルーキーセカンドチーム(1997) |
Naismith Prep Player of the Year Award(1996) |
8番と24番がレイカーズで永久欠番に |

最後に
コービーはマイケル・ジョーダン引退後のNBAを背負っていた数少ない選手でした。引退した時は本当に寂しかったです。しかし、NBA引退後もコービーならば何かやってくれそうです。
2018年3月4日には第90回のアカデミー賞で短編アニメ賞を受賞しました。
コービーいわく「優勝した時よりも気分が良かった」らしいですw

それでは「マンバアウト」