レジェンド

NBA屈指のシューター、アラン・ヒューストン

投稿日:2018年7月1日 更新日:

りとる・あいばーそん
今回は、アラン・ヒューストンを紹介するっす!

プロフィール

誕生日:1971年4月20日

出身国:アメリカ

出身地:ケンタッキー州ルイビル

ポジション:シューティングガード

ドラフト順位:1993年1順目11位

ドラフトチーム:デトロイトピストンズ

出身校:テネシー大学

身長:198cm 体重:93kg

NBAデビュー:1993年11月5日

アラン・ヒューストンはNBA屈指のシューティングガード。

アラン・ヒューストンはめちゃくちゃシュートがうまい選手でした。

3ポイントの確率はキャリア平均で40.2パーセントと素晴らしい数字を残しています。

キャリア平均が40パーセントを超える選手はなかなかいないので、如何にヒューストンがシュートがうまいかが分かりますね。

りとる・あいばーそん
ヒューストンのシュートは本当に凄かった!

1993年NBAドラフト

アラン・ヒューストンは1993年のNBAドラフトにおいて、1順目11位でデトロイトピストンズに指名されます。

この年のドラフトはタレントが豊富でしたね。

1位でクリス・ウェバー、3位でアンファニー・ハーダウェイ、4位でジャマール・マッシュバーン、5位でアイザイア・ライダーなどが指名されています。

また10位指名でピストンズでヒューストンのチームメイトとなるリンジー・ハンターが指名されました。

私はヒューストンとハンターの若手コンビかなり好きでした!

1994年ダンクコンテスト

アラン・ヒューストンはアウトサイドシュートのイメージが強いですが、実は身体能力が高く1994年のダンクコンテストに出場しています。

ヘディングしたあとにダンクするシーンは今でも記憶に残っています。

このダンクはオリジナリティがあって好きっすね。

 

デトロイト・ピストンズ時代

2年目から活躍しだしたヒューストンはすぐにピストンズの得点源になりました。

ピストンズ時代の成績↓

シーズン 平均得点
1993-94 8.5
1994-95 14.5
1995-96 19.7

このままピストンズのエースになって行くのかと思いましたが、ピストンズでは3年間しかプレーしませんでした。

ニューヨーク・ニックスへ移籍

1996年にフリーエージェントになったヒューストンはニューヨーク・ニックスと契約します。

この移籍には本当にびっくりでした。

ニックスに移籍した選手は当然注目を浴びます。調子がいいときは絶賛されますが、調子が悪い時は叩かれます。

そんな厳しい環境に身を投じたヒューストンは2005年に引退するまで9シーズンニックスでプレーし続けました。

1999年プレーオフでマイアミ・ヒートに歴史的勝利

アラン・ヒューストンはかなり印象的なプレーが1つあります。

1998ー1999年シーズンのプレーオフファーストラウンドゲーム5での逆転シュートです。

残り3秒、76対77でニックス1点ビハインドの場面でそのシュートは生まれました。

当時イースタンカンファレンスで大本命だったマイアミヒートを相手にやってくれました。シュートを決めた後のヒューストンのガッツポーズが本当に印象的でしたね。

当時ファーストラウンドは5ゲーム制だったので、ヒートはこのシュートで万事休すでした。

第8シードのチームが第1シードのチームを倒したのはNBA史上2度目でした。

この勝利は本当に歴史的な勝利でしたね。 ヒューストンの活躍がなければこの歴史的な勝利はなかったでしょう。

りとる・あいばーそん
ヒューストンすげー

ヒューストンはミラクル・ニックスで大活躍

1回戦で歴史的な勝利を収めたニックスはその後、2回戦でアトランタ・ホークス、カンファレンスファイナルでインディアナ・ペイサーズを下しました。

第8シードのチームがNBAファイナルに進出したのは本当にミラクルでしたね。

当時のニックスはミラクルニックスと呼ばれNBAを本当に盛り上げました。

ミラクルニックスの勢いはまじで凄かったです。波に乗ったニックスは本当にアンストッパブルでした!

ヒューストンはそんなミラクルニックスの中核を担っていました!

アラン・ヒューストン、ラトレル・スプリーウェルラリー・ジョンソンジョン・スタークスパトリック・ユーイング

今見ても本当に強烈なメンバーです。

りとる・あいばーそん
ミラクルニックスはまじでかっこよかった!

1999年NBAファイナル

ヒューストンは1999年のNBAファイナルに出場しました。相手はサンアントニオ・スパーズ。

惜しくも1勝4敗でニックスが敗れてしまいましたが、ヒューストン自身は平均21.6得点と活躍しました。

エースのユーイングが怪我で欠場していた中、本当に頑張ったと思います。

惜しくも史上初第8シードのチームがNBAチャンピオンになると言う快挙は達成できませんでしたが、このシーズンのヒューストンの活躍は今でも忘れません。

本当にヒューストン凄かったです!

主な経歴

ヒューストンは2000年にドリームチームのメンバーに選ばれました。

シドニーオリンピックでは金メダルを獲得しています。

また、2000年、2001年にはNBAオールスターに出場しました。

高額契約~引退

2001年、ヒューストンはニックスと6年間で約100億円(100.4ミリオンダラー)の巨額契約を結びます。

当時の契約ではかなりの額の契約でした。

高額な契約をしたヒューストンは期待にこたえます。2001-2002年シーズンには平均20.4得点、2002-2003年シーズンにはキャリアハイの平均22.5得点を記録しました。

しかし、2003年に足の怪我をしてからは全盛期のようなプレーが出来なくなります。

その後、ヒューストンは怪我が原因で2005年10月に引退しました。

NBA復帰にチャレンジ

ヒューストンは2007年にNBA復帰にチャレンジしました。しかし、プレシーズンゲームで数試合プレーした後復帰を断念しています。

正直ヒューストンが復帰にチャレンジと聞いた時は嬉しかったです!

結局NBA復帰にはいたりませんでしたけどね。

まとめ

ニックスでシューターとして長年プレーしたヒューストン。

私の中では物凄く巨額な契約をしたことが1番印象に残っていますw

しかも巨額な契約をしたにもかかわらず最後のほうは怪我でプレー出来なかったのがね・・・

ただ、彼のシュートは本当に凄かった!

NBA史上に残る名シューターである事は間違いないです。

それではまた。

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

りとるあいばーそん

出身地:日本、 NBAファン歴:30年、 好きなチーム:シカゴ・ブルズ、 好きな選手:ジョーダン、アイバーソン、 好きなプレー:ノールックパス、クロスオーバー、 趣味:スポーツ観戦、ツイッターフォローしてくれると喜びます。

-レジェンド

Copyright© NBAレジェンド-過去から現在までのNBAをまとめるブログ , 2019 All Rights Reserved.