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トニー・クーコッチはNBAを代表する海外出身選手!

投稿日:2018年10月10日 更新日:

りとる・あいばーそん
今回はトニー・クーコッチを紹介するっす!

プロフィール

誕生日:1968年9月18日

出身国:クロアチア

出身地:ユーゴスラビア・スプリト

ポジション:SF/PF

ドラフト順位:1990年2順目29位

ドラフトチーム:シカゴ・ブルズ

出身チーム:トレヴィーゾ

身長:208cm 体重:106kg

トニー・クーコッチは海外出身選手の代表的な存在

現在のNBAでは多くの海外選手が活躍しています。しかし、1980年代から1990年代初頭まではほとんど海外出身の選手はいませんでした。

もちろんまったくいなかったわけではありませんが、今ほどたくさんの選手はいませんでした。有名なところで言えばデトレフ・シュレンプやドラジェン・ペトロビッチ、ブラデ・ディバッツなどがNBAで大活躍していました。

しかし、まだまだロスターはほぼアメリカ国籍の選手で埋められている時代でした。そんな中で注目を浴びたのがトニー・クーコッチでした。

クーコッチはユーゴスラビア代表として、1988年のソウルオリンピックで銀メダルを獲得しました。また、1990年にはFIBA世界選手権で優勝し、MVPに輝いています。

「さすがクーコッチ」

当時のクーコッチはまさにヨーロッパを代表するバスケットボール選手でした。長身ながらアウトサイドのシュートがうまく、スリーポイントシュートも決めることが出来ました。

現代NBAではスリーポイントを打つ長身選手が増えましたが、当時のNBAではアウトサイドシュートがうまいビッグマンはヨーロッパ出身選手の特権でした。まさにクーコッチのようなプレーヤーです。

「あんなでかくてスリーポイントがうまいなんて反則!!」

また、大きくて何でも出来るので「ヨーロッパのマジック・ジョンソン」と言われていました。

1990年NBAドラフト

海外での活躍がNBAのスカウトの目に留まり、クーコッチは1990年NBAドラフトで2順目29位でシカゴブルズに指名されます。

「ブルズのスカウト有能すぎっ!!」

特にこの頃のクーコッチはヨーロッパで数々の賞を受賞しています。間違いなくこの時代のヨーロッパ出身の選手としてはNO1の選手といっても過言ではありません。

 

NBAでも海外出身選手が台頭し始めた

1990年初頭からNBAでも海外出身選手の活躍が目立つようになります。各チームはドラフトで海外出身の選手を指名することが増えました。

クーコッチと同時代のドラフトで言えば1989年にボストン・セルティックスが2順目40位でディノ・ラジャを指名しています。

ただ、当時はNBAドラフトで指名されてからすぐにNBAでプレーする選手はあまりいませんでした。ヨーロッパで数年プレーした後NBA入りしていました。

「それだけまだまだアメリカと差があった」

やはりドラフト順位も2順目指名が多かったです。今だったら間違いなく1順目で指名されるでしょう。

1992年バルセロナオリンピックで活躍

クーコッチは2度バルセロナオリンピックでアメリカと対戦しました。最初の対戦は予選でしたが、70対103でアメリカに敗戦しています。

また、この時クーコッチはジョーダンとピッペンにマークされまったく活躍できませんでした。当時ヨーロッパで騒がれていたクーコッチをつぶしに行ったのが明らかに分かりました。

「THIS IS NBA」

っていう感じでしたね。本当に厳しいディフェンスでした。ピッペンなんてオールコートでマークしてる場面もあったほどです。

クーコッチ「・・・・・」

ただ、クーコッチにとっては良い経験になったでしょう。

バルセロナオリンピック決勝

クーコッチは決勝でまたしてもドリームチームと対戦します。予選と違いクーコッチはドリームチーム相手に良いプレーをしていました。相手は世界最強そして歴代最強のチームです。

「クーコッチすごい」

クロアチアは試合序盤少しだけですが、ドリームチーム相手にリードする場面もありました。しかし、それがアメリカを本気にさせてしまい結局85対117で敗れてしまいます。

クーコッチは負けはしましたがドリームチーム相手に十分健闘しました。この時のクーコッチのプレーは本当に記憶に残っています。特にアシストパスが凄かったです。

「さすがヨーロッパNO1」

シカゴブルズに入団

クーコッチは1990年にドラフト指名を受けていましたが、ヨーロッパで数年プレーした後、1993年にシカゴブルズに入団します。

1993年のシカゴブルズと言えばマイケル・ジョーダンが1度目の引退をした年でした。クーコッチはジョーダンと一緒にプレーしたかった為本当に残念でした。正直私も残念でした。

「クーコッチとジョーダンが一緒のプレーしてるの見たかった」

1年目からクーコッチは控えとして大活躍しました。複数のポジションをこなすことが出来たクーコッチはパワーフォワード、シューティングガード、スモールフォワード、センターでプレーすることが出来ました。

1年目は75試合に出場し平均10.9得点、4リバウンド、3.4アシストの成績を残しました。

「ルーキーイヤーのクーコッチは海外出身の大物選手として本当に注目を浴びていた」

クーコッチとピッペン

クーコッチで有名なのが1994年5月13日、イースタンカンファレンスセミファイナル第3戦でのプレーです。ニューヨークニックスが相手でした。

同点で迎えた残り1.8秒ブルズはタイムアウトを取ります。当時のシカゴブルズのエースはスコッティ・ピッペンでした。しかし、監督のフィル・ジャクソンは最後のシュートをピッペンではなくクーコッチに打つように指示しました。

これに怒ったピッペンはベンチを離れる事を拒否しました。

「ジョーダンがいればこんな問題起きなかったんですけどねwww」

ボールは監督の指示通りクーコッチに渡りました。そして、クーコッチは見事ブザービターを決めました。

「決めちゃった笑」

ピッペンはその後この件に関して謝罪しています。

「決まってなかったらピッペンもっと怒ってたかもね」

 

シカゴブルズの3連覇に貢献

1994-1995年シーズン、マイケル・ジョーダンが復帰します。クーコッチは本当にジョーダンとプレーしたがっていたので本当によかったです。

「私もめっちゃ嬉しかった!!」

バルセロナオリンピックで対戦した彼等が同じチームでプレーする事に私は興奮してしまいました。

「ジョーダン、ピッペン、クーコッチって最高!!」

正直鼻血がでましたwww

もちろん、クーコッチはシカゴブルズの主力選手として大活躍しました。ベンチから出てきては得点を取っていましたし、またスタメンでプレーしても十分活躍していました。

正直クーコッチがシカゴブルズで果たしていた役割は本当に大きかったです。クーコッチの活躍なしに3連覇は達成出来なかったといっても過言ではありません。

1996年にはシックスマンオブザイヤーに輝きました。ジョーダンやピッペンがベンチに下がったとしてもベンチからクーコッチが出てくると言う反則すぎるメンバーでした。

クーコッチ、ジョーダン、ピッペン、デニス・ロッドマンが一緒のチームでプレーしていたらそれは強いに決まってます。最高のメンバーでした。

私がブルズ時代のクーコッチで1番印象に残っているのは1997年のNBAファイナルで優勝した瞬間ロッドマンと抱き合っていたシーンです。

「感動した!!」

シクサーズ時代

シクサーズ時代は少しですがアレン・アイバーソンとプレーしました。私は2人のコンビに本当に期待していましたが、ディケンベ・ムトンボとのトレードでアトランタホークスへトレードされます。

他にはシオ・ラトリフ、ナジール・モハメド、ペペ・サンチェスがホークスへ放出されました。

「アイバーソンとのコンビがもっと見たかった!」

シクサーズのユニフォームけっこうに合ってたのに。

アトランタホークス時代

2001年途中にアトランタホークスに加入したクーコッチはアトランタホークスのエースになりました。平均19.7得点、5.7リバウンド、6.2アシスト、スリーポイントフィールドゴール48.1パーセントと4つの部門でキャリアハイの成績を残しました。

正直当時のホークスは弱かったのでクーコッチにボールが集まったと言う事もありますが、いい成績です。

ミルウォーキーバックス時代

2002-2003年シーズンはミルウォーキーバックスに移籍しましす。2003年のプレーオフでは平均14.8得点をとり活躍しました。ベテラン選手としての役割をしっかりと果たしていました。その後2006年までバックスでプレーし引退しています。

最後に

クーコッチは1990年代を代表するヨーロッパ人選手である事は間違いないですし、私の中では今でも最高の外国人プレーヤーの内の一人です。

「特にシカゴブルズ時代のクーコッチは最高でした!!」

それではまた。

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りとるあいばーそん

出身地:日本、 NBAファン歴:30年、 好きなチーム:シカゴ・ブルズ、 好きな選手:ジョーダン、アイバーソン、 好きなプレー:ノールックパス、クロスオーバー、 趣味:スポーツ観戦、ツイッターフォローしてくれると喜びます。

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