レジェンド

ジュリアス・アービング(ドクターJ)はダンクがかっこよすぎる選手。

投稿日:

りとる・あいばーそん
今回はジュリアス・アービングを紹介するっす

プロフィール

誕生日:1950年2月22日

出身国:アメリカ

出身地:ニューヨーク州ローズベルト

ポジション:SF

ドラフト順位:1972年:1順目12位

ドラフトチーム:ミルゥーキー・バックス

出身校:マサチューセッツ大学

身長:201cm 体重:96kg

ドクターJことジュリアス・アービング

ジュリアス・アービングの魅力といえばなんと言っても強烈なスラムダンクです。彼のダンクシュートは本当にかっこいいです。あのマイケル・ジョーダンも憧れたというのは有名な話です。

そして、今となっては時代を感じさせるアフロヘアが本当にかっこいい選手でした。もちろんアフロだけでなくプレーも本当にかっこいいです。

アービングはマジック・ジョンソンラリー・バード以前のNBAのスーパースターでした。私が始めて彼を知った時には既にもう伝説化していました。

ドクターJは本当に「伝説の選手」という言葉がぴったりな選手です。たくさん凄い選手はいますがやはりある意味ドクターJが一番ですね。

彼がいなければ今のNBAはなかったといっても過言ではありません。それだけNBAに影響を与えた選手です。

「まさにレジェンド」

 

ドクターJという呼び名

ドクターJという呼び名は彼がローズベルト高校に通っていたときに名付けられました。

アービングは彼の相棒であるレオン・サンダースの事を教授(The Professor)と呼んでいました。サンダースはアービングのことを「The Doctor」と呼びました。これが彼のニックネームの始まりです。

そして、その後アービングがラッカーパークでプレーしている時に「ドクター・ジュリアス」となり最後には「ドクターJ」になりました。

「かっこいいあだ名っす!!」

バージニア・スクワイヤーズ時代

ドクターJは最初からNBAの選手だったわけではありません。

当時アメリカにはABA(アメリカンバスケットボールアソシエーション)とNBAというリーグがありました。ABAは始めてスリーポイントを導入するなど革新的なリーグでした。

またカラーボールを採用したりと色々独自な取り組みをしていました。ABAに鳴り物入りで入団したドクターJは1971年から1973年までバージニア・スクワイヤーズでプレーしました。

NBAのミルウォーキー・バックスからドラフト指名

ドクターJがABAのバージニア・スクワイヤーズに在籍していた当時、NBAのミルウォーキーバックスはなんと彼のことをドラフト指名します。すでにABAに所属していたドクターJでしたが、NBA側からすれば別に指名しても良いとの見解でした。

「勝手な見解過ぎるwww」

もしこの時ドクターJが入団していたらオスカー・ロバートソン、ルー・アルシンダー(カリーム・アブドゥル・ジャバー)と一緒のチームでプレーしていた事になります。

「この3人が一緒のチームってやばすぎる」

BIG3を結成した選手達は過去にもいっぱいいますが、この3人は本当に見てみたい!!

しかし、アービングはNBAのアトランタ・ホークスと契約してしまいます。当時のホークスにはこちらもレジェンドのピート・マラビッチがいました。この2人のコンビも強烈ですね。

しかし、結局3チーム間で揉め事が起こります。

「当たり前ーーー!」

その後、アービングがどのチームでプレーするかを巡って裁判になりました。結果的にはスクワイヤーズでプレーする判決がでます。

ニューヨーク・ネッツ時代

資金繰りが悪化したスクワイヤーズはアービングをニューヨーク・ネッツにトレードしました。

ニューヨーク・ネッツに入団したドクターJは1973年から1976年までの3年間ネッツでプレーします。

ネッツでは1974年と1976年にABAチャンピオン、また1974年と1976年にプレーオフMVP、1974年から1976年までABAMVP、1973年から1976年まではオールABAファーストチームに選出されています。

またABA最後のシーズンには平均34.7得点をあげ大活躍しました。

このシーズを最後にABAはNBAに吸収合併される事になります。

フィラデルファイアセブンティシクサーズと契約

1976-1977年シーズンにネッツはABAからNBAに吸収されました。アービングはネッツではなく、NBA1年目はシクサーズプレーする事になりました。

ABA時代はすぐにチャンピオンになったアービングでしたが、シクサーズ入団後はしばらく優勝から遠ざかっています。

しかしアービング自身は1981年にシーズンMVP、1977年から1987年まで11年連続でNBAオールスターに選出されています。

初めてNBAで優勝したのは1983年でした。相手はパット・ライリー率いるロサンゼルス・レイカーズでしたが、4勝0敗でスウィープしています。

当時のシクサーズにはモーリス・チークス、モーゼス・マローンなど後に殿堂入りする名選手がいました。ちなみにMVPはモーゼス・マローンが受賞しています。

その後、アービングは1987年に引退しました。背番号32番(ニューヨーク・ネッツ)背番号6番(シクサーズ)は永久決番になりました。

「ドクターJは本当にレジェンドすぎる!!」

数々のスーパープレー

ドクターJといえばやはりかっこいいダンクやダブルクラッチが有名です。本当にかっこいいんですよこれがまた。

はじめてみた時は本当に興奮しました。当時の私は本当に彼のプレーに衝撃をうけました。

1976年スラムダンクコンテスト

1976年ABAのスラムダンクコンテストで見せたレーンアップ

これ最初見た時、私は中学生でしたがあまりのすごさにちびりましたw

伝説ではジム・ポラードやウィルト・チェンバレンもフリースローダンクを決めたということが言われていますが、残念ながら映像には残っていません(1950年代の話)

なので映像として記録されたのはドクターJが始めてです。

「もう伝説過ぎて何がなんだか分かりませんwww」

この映像は是非とも今後に残していって欲しいです。人類が月に着陸したのと同じ位すごい事(言いすぎ?)

 

ダンクオーバービルウォルトン

このダンクは1977年のNBAファイナル第6戦でビル・ウォルトンの上からぶちかましたやつです。

ちなみにウォルトンは身長が211cmもあります。1977年にはブロック王に輝きました。このダンクはNBA選手に対して辛口で知られるビル・ウォルトンも認めざるを得ません。

「すごいダンク!!」

 

レイカーズ戦でのダブルクラッチ

1980年のNBAファイナル第4戦で飛び出したプレー。このプレーは「ザ・ベースラインムーブ」と呼ばれています。

ジョーダンのダブルクラッチも芸術的ですが、ドクターJのダブルクラッチも本当にすごい!!

レジェンドのマジック・ジョンソンもびっくりwww

 

Rock The Baby over Michael Cooper

ロック・ザ・ベイビー・オーバー・マイケル・クーパーといわれる超有名なダンクです。

1983年のレギュラーシーズンでマイケル・クーパー相手にぶちかましました。ちなみにクーパーはディフェンスがかなり良い選手。1987年にはディフェンシブプレーヤーオブザイヤーに輝いています。

しかし、ドクターJにかかればさすがのクーパーも手も足もでませんでした。

私が今までNBAの試合で見た1番すごいダンクです。

「まさしくドクターJを象徴するプレー」

 

63歳でまだダンクwww

これすごすぎwww

 

ドクターJほど伝説のNBA選手という言葉が似合う選手はいませんね。

それではまた。

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りとるあいばーそん

出身地:日本、 NBAファン歴:30年、 好きなチーム:シカゴ・ブルズ、 好きな選手:ジョーダン、アイバーソン、 好きなプレー:ノールックパス、クロスオーバー、 趣味:スポーツ観戦、ツイッターフォローしてくれると喜びます。

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